大河の無い播磨町へ農業用水を加古川から取水し、水不足で悩む村民の願いを叶えようと水路の建設を始め、約14kmを藩主に命を預け完成させたのが新井用水(しんゆようすい)です。日岡山西の大堰からすでに五ヶ井用水が取水していたが分水しての取水であった。JR加古川線日岡駅下車すると駅前に新設なった水路が迎えてくれる。日岡神社に参拝し、ゴールの古宮大池への無事故と到着をお願いしスタートである。
播磨町へは勾配が緩く水路の位置決定に苦労したようです。スタートは日岡丘陵の裾野を東へは勾配は取れたでしょうが岩盤で苦労したらしい。聯隊橋の先で水路は南下するが、農業用水路にしては水面が低いのに気付く、高低差を取るための知恵なのでしょう。加古川バイパス潜り次いでJR線路を跨ぐと野口町坂元で「賀古の駅家」に関係する遺跡調査の説明会があった跡は住宅地になり当時のおも影は無く、記念碑でも建ててほしいものだ。次いで西国街道とクロスしたので教信寺さんのサクラの下で昼食。”教信上人”が庵を結び馬ヶ家池を築造した様子は『今昔物語』にあり、上人は貞観八年(866)に亡くなっている。
境内を散策後R2を越え、駅家(うまや)が有った名残りの名の「馬ヶ池(まやがいけ)」が昔と比べ池が小さくなったのでは!……と思いながら大歳神社で駅家の名残りだという大石が小さい境内に散見する。車に気を付けながらさらに南下し中部中学校の標高は29.5mでコースで最高地点だと地理院地図は示す。学校そばの「峠池」は高さを利用した水量調節機能を持たせ、標高が9m前後を水路は東へ向かい、水路に落ちれば上がれないほどの深さが伸びる。夜は街灯が無いので注意がいるでしょうが、街中の水路はウオーキングする人に出会う。 今回は平岡町二俣信号でJR 東加古川駅へ向かい今日の歩きを終え、次回は田圃や畑が残るコースに喜瀬川をサイホンで越す装置を見てゴールの古宮大池を目指そう。Ⓢ atomu
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