2023年11月23日木曜日

NO6 「兵庫5国の層塔」をいく。播磨最北の石峯寺!!

夏にはスイレンが咲き暑さを忘れさせてくれる
階段を上がると観音堂が誘ってくれる
御坂のサイホン、御坂神社、箱木千年家、六條八幡神社、を駆けて元嶺山石峯寺へ
 ここが播磨かと思うほど遠い。すぐ先が摂津(神戸)を考えると致し方ないだろうが。現在は神戸市北区淡河(旧播磨国)だが背を接して旧吉川町は播磨国の最北東端なので遠い姫路より神戸、大阪との交流が強い。高い峠を越えた交流で無いのもそうさせたのだろう。この辺りは低位の丘陵が多のでバブル時、そこかしこにゴルフ場が作られ、今も、休日には阪神間のナンバーを付けた車の往来が多く「姫路」ナンバーは蚊帳の外なのも納得である。美嚢郡の最高地点の山中に 岩嶺山石峯寺(がんれいざん、しゃくぶじ)が建てられた。古くには法道仙人開基を伝え40坊もの塔頭があった、が現在は3院が石峯寺を守っている。石段を上がると重要文化財の観音堂が正面に鎮座し、参拝者を誘うので自然に観音堂へ足が向かう。右手にも重要文化財の大きく高い(24.1m)三重塔が背を伸ばしている。1954(昭和29年)年に解体修理され、杮葺きから銅板葺に変更されている。なぜ、銅板葺に変更したかを説明されていないのが不満である。文化財指定の塔で県下で一番背が高いらしい。落雷の多い東播磨北部で背の高い塔が無事生き延びたのは奇跡ではないか、塔を守るように高木を育て、防ぎ守った先人の知恵ではないだろうか。現在は避雷針が有るので落雷は防げるが、古代は前記したように高木で落雷を防いだのだと思う。それに気づいたのは写真を撮ろうとカメラを構えると高木が邪魔になるのであった。また、古文書に落雷で焼失したことを目にすることと、聖武天皇の国分寺を建てるようにとの詔を発してから1280年余。国分寺跡だろうと言われる場所には塔礎石がある、がどの様に焼失したかは資料は少ないが、但馬国分寺は落雷で焼失した記録があるらしい。また、鳥取は礎石は残っているが三重塔は残っていない。何故かはこれからの調査だが、現在の私見は冬に落雷が多い山陰が一番の原因で、再建をいつの時期かに諦めたと考えた。一方、岡山県は三重(五重)の塔が国内最多の十三塔がある。現在の時点では「晴れの国、岡山」を高らかに謳うのには、雨が少ない瀬戸内海気候で、雷も少ないと言うのであろう。他にも理由は有るだろう、宮大工が多い、スポンサーが居られたなどだろうが決定打は無い。昔の人達は天災は神の仕業だと思っていたであろうから知識は現在が優るが、知恵は格段古代人が優るだろう。これらも検証しながら兵庫、岡山、鳥取など近在を駆け答えに近づけられ場だと思っている。  Ⓢ atomu

 





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ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

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