志戸坂峠入り口にある記念碑
平福駅 ~ 平福宿 ~ 釜坂峠 ~ 大原宿 ~ 大原駅 = あわくら温泉駅 江川神社狛犬・文化3年(1806)丙寅9月
日本山岳会選定の「日本の古道120選」の候補に兵庫県で2ヶ所選ばれ今回は2度目の探査を実施した、その報告である。前回、昨年10月には兵庫・宍粟千種から鳥取・若桜吉川へを完歩し今回に至ったのである。大坂から智頭急行で平福駅まで来て、旧作州街道を県境の釜坂まで向かう。現在県道200号線になり、舗装道路が峠口まで続く。途中、旧道があればそちらに向かうが、大半は舗装道路歩きである。途中、江川神社へ立ち寄り、江戸時代の狛犬が、迎えてくれた。時代が古くほど小型の作風で彫が浅く、用具のチスの鉄材の少なさを感じずにはおられない。釜谷部落手前の瑞牆神社と樹齢400年スダジイで年代を感じ根元に赤松氏一族の石造碑だとの解説板が年代を教えてくれる。道々で感じたのは、新しい家が多く豊かな集落を感じずにはおれない。釜坂入り口には立派な標識が有り、迷わず峠にかかる。入口に石碑石像などとサクラの大木がシーズンなら見事であろうと思いながら久しぶりの地道を歩きだす。峠は心地よい勾配で一気に峠頂上の「たて場地蔵尊」に迎えられ東屋で一息入れる。ここには茶屋があり藩主にお茶を出し、旅人にも賄ったとの解説板がある。竹林の続く下りを、宮本武蔵生誕地あと謳う宮本村まで一気に下る。途中一息つける「一環清水」の湧水で各々時間取り、宮本神社へ立ち寄り、サノモ神社へ立ち寄り、次いで昔ながらの風情を残す「大原宿」は鳥取藩主が泊った本陣や造り酒屋がある大きな宿場町を散策して当時の面影を彷彿しながら、今日のゴール智頭急行大原駅へ向かう。駅舎は木造で田舎を演出しており落ち着く、駅中で汗を洗い流し車中の人になり、あわくら温泉駅下車し、直ぐ先が今日の宿である。さて、明日越える「志戸坂峠」は、鳥取藩主が参勤交代で越えた重要な峠であったが、雪が多く冬季の利用は叶わなかった。その後、明治大正昭和と繋がり、冬季の峠越えの念願を叶えたのが「志戸坂隧道」の開削であった。他国に比べ雪の無い山陽道と因幡国が早い開通が実ったのは、兵庫西部と美作国の熱意と因幡との最短重要ルートだと国道53号線が実現したのである。次回は、志戸坂越えと智頭の宿までのお話です。 Ⓢatomu
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