2024年1月5日金曜日

今年初の東進で「明石」へ、「初荷の幟」を見なかっR2バイパス

   帰省者、初荷を運ぶトラックに挟まれて!!

    遠い昔の初荷は「初荷」幟を立て、元気の良い若衆が、屠蘇気分そこそこに荷物の上げ下ろしをやったものです。トラックの幟もいつの間にか消え、挨拶もそこそこにフォークリフトで積み下ろしです。昔の習慣、風習は良きものは残し、悪しきものは改善し後世に残したいものです。

 現在の物差しは短くて、今をどうするかの話しが先行し、過疎化が進んでいる村をどうするかの話しでなく、バス電車を止めるので検討してほしいである。長きに渡り積上げてきた文化伝統は一夜にして崩れ消え去るでしょう。それを救う手立ては、行政の長たる市町村長の決断であろう。我は20数年前に村で留守番する老人達が登山に来る街の人達に声掛けして交流をしてもらい、街から見た村の魅力は何かを考え、都会に無い自然と山、それに素朴さ一杯の老人達であった。我々ボランティアで出来ることは山を駆けることと、登山道の整備ならボランティアで出来ると参加を募った。標高の高低は考慮したが、集落でのオラガ山を選定して共に登山道の整備に汗し、交流を図った。選定した新しい頂は50山で、山頂ポールや道標も整備した。また、昼間村を守る老人達には登山口案内をしてもらい一時の交流をしてもらっている。最後の手は、全国の市町村初、山のガイドブック『1000mの風に乗って〈宍粟50名山〉』を制作し、書店で販売して好評を博し増刷も果たした。また、50山の登破者には記念品を贈呈し、帰路に日帰り温泉へ、道の駅で買い物などして地元に少なからず貢献している。間もなく結成から20年に成ろうとしているが結成した時のメンバーは減り、新旧交代は良いことだが、スタートの時の気概が失せ、サラリーマン化したのが寂しい。我もボチボチ消える時期が来たと心に決める今年かも知れない。

 明石市に多い東経135度線(日本標準時子午線通過地点)のモニュメントを探しに市内へ入った。明石より北は田園都市で一時駐車は許されそうな周りであったが、明石では苦しんだので発見数が少ない。シンボルルである明石市立天文科学館、市役所横の「刻」と地球儀を彫り込んだ石造モニュメントと大蔵交番横の明治生まれの石柱を掲載しよう。Ⓢ atomu 

         明石市立天文科学館
大蔵交番・「大日本子午線通過石柱」

               明石市役所西公園の「刻」と地球儀135度線・石造モニュメント  Ⓢ




        



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