2023年10月22日日曜日

播磨最後の例大祭、魚吹神社の歩き報告

       『津の宮』と地元網干では呼んでいます !

  魚吹(うすき)神社と読めるのは近在の人以外で、歴史に長けた人は読めるでしょうが、他は難しいと思う。歴史ある神社なので真相はわからないが、神功皇后が網干沖で台風に合い難破し掛けた時、魚の大群が現れ汐を吹き難破を救ったとの古事により魚吹神社と呼ぶようになったと地元では語られている。縄文時代には潮が差す浅瀬の海であったたが、長い期間かかって各河川から吐き出す土砂で土地が南進し、讃岐、石見、大阪ほか等から人々がやって来て朝日山から南部を開拓した歴史を神功皇后に例え語っているでしょう。各地からやって来たことは『播磨国風土記』にも語られています。神社が鎮座する宮内から西の馬場のある津市場は砂州の上に築かれた集落である。中世以後の湊であった名残りが津の宮、津市場の地名で残ったのです。津市場の本村の土地が高いのを知る昔の石組みが区画整理で田圃が埋まり消えてしまったのと、祭礼で屋台が集う「西の馬場」西に、絶えず湧水があった”おたら池”(聖池とも地元では呼んでいる)が揖保川の流路を利用した船着場であった名残を埋め立て、石碑だけを残し古跡が消えたのを残念に思っているには我だけではないと思っている。Ⓢ

 祭りに相応しい快晴の一日、西播磨の大取りを務める魚吹神社の御旅所”西の馬場”から屋台、”だんじりが”消えるまで居って、昔と対比しながら屋台、だんじりを懐かしく見送った。若衆の年齢が下がり、〆込みがピカピカで、太めの親父より一回多く回した〆込みの若衆も見た。昔の屈強な中年男性が少なく、怖い梃持ちの”おやじ”を見ないのも時代の経過なのでしょうか。そこかしこで、祭りが縮小したり、出し物を廃止しする中で、毎年盛大に開催する努力には拍手を送りたい。地区最高の出し物が、屋台18台、だんじり4台、獅子舞1台、神輿4台が多くの観衆の拍手を受け御旅所から本宮までの巡行が夜遅くまで続いた。各村に屋台だんじりが帰り着いたのは日が変わった朝1時を回ったことでしょう。来年も盛大に魚吹八幡神社大祭を見られることを願って、二日間の写真を送ります。ⓢ  atomu


       最後の屋台を送り出し出番を待つ”だんじり”  

21日の家庭玄関に飾られた提灯

  

      21日夜の西の馬場に据えられ”ただんじり”4台


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