2024年2月22日木曜日

 「ボランティア文化に陰り」の新聞一面を見て!!⋯⋯⋯”そうは思は無!”

   ボランティア皆さんの活躍の場を早く作ろう!!!

 「阪神淡路大震災」が発生してから29年になる。未曽有夕の大災害に国民みながどうしようかと悩み苦しんだのである。我が親戚が神戸御影に住まいしていたので、連絡のTELしたが繋がらない。高速道路の橋脚が折れている写真を見て、親戚の家屋も危ないと判断し、救援物資に、カセットコンロ、鍋、ボンベ、ラーメン、2ℓ入り白湯の水、お茶、コーヒー、カップ、コップ、箸、手袋、マッチ、他は忘れた。すでに姫路のスーパーのラーメン、2ℓの お茶は品薄になりスーパーを駆けた。白湯なら加工が利くのと、寒いので火の大きなカセットコンロにし、マッチ、手袋は災害後の暖を取る必需品と考えて用意した。兄弟2人でキスリングと背負子で運搬する覚悟で出発す。R2、R250は通れないだろうから、福崎、加西、小野、三木を経由し、まだ六甲トンネルが一般車の通行可だったので、なんとか神戸の街へ入った。これからが大変、パトカー、救急車、消防車、一般車、自衛隊車が混在し動けなかった。弟が神戸で生活した経験から何とか王子動物園そばの自衛隊車が駐屯するネット沿いに車を止め、荷物を担ぎ歩き始めた。姿を変えた町並みであったが灘区に勤めた弟の経験が生き、何とか親戚の家を探し出せた。酒蔵会社の蔵も壊れ周囲も倒壊していたが、数年前新築していたので倒壊はせず無事だったが不在であった。小学校に避難されていると考え、これも弟の勘と神戸に居た経験が生き、何とか見つけ無事の親戚家族と出会えた。

 目的を果たした安堵感で未曽有の震災の姿を見ておこうと、橋脚が折れた高速道路、ビルの一階が壊れ狭くなった間に潜る自衛隊員、レールがずれているモノレール、中心部へ向かう車が多すぎて手の施しようがないポリス、救急車も先へ進めない、など等が、震災8日後の神戸の街の姿である。

  能登半島地震から一か月半を過ぎたのに「災害ボランティアセンターを経由して活躍する人数は延べ2739名」だと新聞一面に目がいく。何故こんなに少ないんだろうか?マスコミでしか情報が得られないが、個人で災害地へ入れなく、20000人を越えるボランティアを石川県が受付し、ストップを掛けていると言う。OKを貰った団体のみの2739名だそうだ。災害発生時の援助は初動がまずで、人命救助は72時間以内に救出すれば助かる確率が高い。今回もエキスパートによる救出があったと思うが、広範で道路決壊で到達できない集落が多くあったと聞くが、お爺ちゃんが居ったのにとか、子供の声がするのに、助けてやれなかった無念さは計り知れなく多いと聞く。道がダメなら海から入れば良いではないか。災害地に向かう医療班は多少のサバイバルはOKだろう?  と思うし、自衛隊の医師団が向かえば良い。過疎地の安心は外部の人や医療班の出会いであるから、一番に医療班と共に地元の古道を知る詳しい人が同行し安心を届けてほしかった。これからは、ガレキの片づけに移行するので、動かない石川県を外して早急に市町村が頑張って、力になりたいと来県するボランティアは質素な宿舎で頑張ってくれるでしょう。これを用意してガレキの撤去に若い力を発揮してほしい。知事がマスコミに出る姿は、災害時の一分一秒を争う気迫が無く、何々を作ります……だけである。辛抱強い現地の皆さん、老人の皆さん、大声を上げて助けを求めて下さい。Ⓢ atomu

雨の千枚田
にぎわう輪島の朝市

重要文化財の上時国家












 

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