2023年7月30日日曜日

  残暑お見舞い申し上げます。今秋は、残暑、台風、大雨




京都国立博物館 ”聖地”特別展ポスター


 明日は八月の声を聴きます。関西では旧暦で歳時記を催す集落は少ないようだし、コロナを口実に取り止めになった行事も多い。関東に嫁いだ妹が送ってくる中元は7月初旬で、梅雨真っ盛りの時季であるから、旧暦でまつりごとをしているようだ。毎年のことだがこれを見て盂蘭盆会が近づき墓参り、我家からの中元先などなど、心準備をするのだが衰えた足腰にムチ打ってゆったりとゆっくり進めて、手抜きも心得た。残暑厳しいが俗称に秋風月(あきかぜつき)と言うらしい。涼しい秋風を待ちこがれ、十五夜の名月を愛でる秋を待つ心が伝わってくる。

 最近は贈り先も減り、楽になったが寂しくもあり、年賀状しかりである。  昨日、岳人と出会い、仲間の様子を窺った中で母親が亡くなった跡の山中の空き家を一人で引継ぎ、守っているので覗いてやって欲しいと言われ心が痛む。共に一献を楽しめる銘酒を持参しよう。Ⓢ atomu

 

     鳥取県国府墓地の ”飾り付け”
 



2023年7月24日月曜日

    兵庫の宝塔(層塔)を行く NO3

 加西市の北条町にある真言宗寺院”酒見寺”(さがみじ)を訪ねました。

 北条鉄道終点「北条町」で降り、駅舎内の観光案内所でパンフレットを頂き駅前の歩道を渡り、指示に従い白壁の商家の残る旧福崎街道を西へ進む。道すがら、地蔵尊や案内石造道標に目をやりながら歩けば立派な山門が酒見寺である。境内はフラットで近くに寄れるので組み物の細部まで観察できるから、若い研究者には良いロケーションでしょう。

「酒見寺(さがみじ)」行基菩薩の開基を伝える真言宗寺院である。天正時代に焼失したが江戸時代に再建された。多宝塔が国重要文化財指定の解体修理で多宝塔の相輪伏鉢で寛文2年(1662)の刻印が見つかり、建立も360年前の頃であったと思われる、としている。建物は大型で古風な細工で緻密さが見られることから和50年6月23日に国重要文化財指定を受けた。

 北条町には多くの歴史が残っており、隣の

神宮寺だった住吉神社(節句祭り)、はじめ、五百羅漢石仏、玉丘史跡公園、山伏峠などなどを散策されることをお勧めです。花好きな女性にはフラワーセンターも近いです。Ⓢatomu 

酒見寺多宝塔(北条町北条)

  住吉神社祭礼(端午の節句の四月初めの開催)節句祭りと呼ぶ!

2023年7月23日日曜日

      8月の「はりま風土記の里を歩く会」
                例会のお知らせ!
 卯年のお折り返しも早や一か月を過ぎ、激暑を迎えております。会員の健康が健やかな日々でありますこと念じております。7月はお休み頂き8月に皆さんとお会いできることを楽しみに8月の例会を計画しました。
 県下三位の後山山麓の「愛の村パーク」で”納涼会”を開催いたします。涼風と展望の高原でのひと時を皆で楽しみませんか。物価高騰の今、料理も割高になり苦慮逸しましたが、ヒモジイ食事では残念ですので、安くとも美味しい料理をお願いいたしました。ご期待ください。Ⓢ
 日時:8月30日(水)<第5水曜日です間違いなく!>
 集合:姫路駅南バスターミナル 7時45分
 出発:8時00分
 会費:¥6500-(昼食代含む)
 募集: 35人 (先着順で受け付け)ⓢatom
 コース
   姫路~佐用町~(鳥取道)~大原IC~大原宿~
   大原神社~後山村高原~愛の村パーク(食事ま
   で散策)~宴会(昼食)~道仙寺(女人堂)~
   日名倉山(ベルピール)~道の駅・ちくさ~姫路
   着17時30分頃 
                      愛の村パーク

          日名倉山(ベルピール)
  @ 申込ははりま観光バスへ 電話:0791-63-6377
        メール: harimakankou@watch.ocn.ne.jp 

2023年7月21日金曜日

 


    梅雨前線が南下した”梅雨明け”宣言!!

 昨日、中国、近畿、東海地方の「梅雨明け」との発表が気象庁からあった。 ”前線が南に下がったので”梅雨明け宣言はしばらくないだろうと!思っていたら!”我が近畿が梅雨明けしたと言う。東北地方の豪雨が続いているのと、昨年は早すぎて梅雨明けを7月末だったと訂正しているので慎重になるのかなー…と思いきや!である。地球温暖化などでこれまでに無い現象が発生して、予報が難しいのでしょうか。予報官の英知と勇気で、世間の雑音に惑わされず、「歳時記」を発表されることを願います。

 今日20日は暦の”雑節”の「夏の土用の入り」”です。一年に四度の土用の入りがあり、春、夏、秋、冬に設けられている。学校は夏休みに入り、中元、旅行の計画などなど、何かと出費が増える時季に追い打ちを掛ける万(まん)を超える商品の値上げには、ボーナスも、ベースアップも無く日々苦慮する人たちは如何ほど居られるのだろう、数字で知りたいと思う。アップ出来る大企業の従業員は救われるでしょうがアップ出来ない中小企業勤めの人達や少額の年金生活者の救いの声が聞こえてこない。

 佐用町南光の「ひまわり祭り」は開催されたが来月が見頃でしたⓈ


すっかり定着した夏の風物詩南光の「ひまわり畑」


 17日に光の真言宗寺院瑠璃寺の仁王像(無病息災を願うキュウリ封じ)が行われた。

2023年7月15日土曜日

氷ノ山山頂小屋の賑わい
氷ノ山殿下コース仙人の門

   真夏には”1000m越えの涼風を求めて”!! 

 東北で豪雨による災害が多発しているので「梅雨明宣言」は出しずらいのでしょうか。梅雨前線の北上と太平洋高気圧の北上を考えると平時なら四国、中国の梅雨明け宣言があったでしょうが、豪雨と戦っている人達の心情を思うと今しばらく辛抱しよう。

 さて、兵庫五国には中国山地第二位の氷ノ山(1510m)を筆頭に20余の1000m峰が五国中央に鎮座し、来峰を待っている。播磨南西部の低山を駆け笹地が切れて眺望のきくピークでやることは四周を眺め、俺らが山「氷ノ山」を探すことである。周囲の山より400m高いので方位さえ確かなら捉えることが出来、11月を過ぎると冠雪あるので素人でも捉えられるので雪の無い南部の人には感激ひとしをでしょう。

 山へ行くと涼しいと言う、汗をかき喉を通る水筒の水の旨さは家では味わえない美味さと快感でしょう。尾根を吹き抜ける風はこの世に引き戻し、いざ出発の合図に従える魔力がある。

 理論上では、高度を100m上がるごとに温度が0.6度下がる。また風速1m吹くごとに体感温度が1度下がると言う。仮に1000mの山で5mの風が吹いていたなら、6度と5度で11度体感温度は低く感じるから木陰ならなを涼しいのです。 

 同じ播磨南西部でも佐用町での、俺が山は「後山山塊」なのです。それには理由があって、佐用町を流れる石井川流域から「後山」が何時も見え、四季折々を届けているのです。ので、佐用町の山人との対話は嚙み合いません。現在、まだ調査不足だが千種川流域と揖保川流域の眼に見えない対立が有るのかも知れないと思っている。

 観光客の多い京都の激暑を避け、緑深い高原で散策と地場産の産物の食事で秋に向かっての体力を養ってください。お父さんの地位向上のチャンスです、バーベキューの火起こし、飯合で飯炊き、などですが、最近の災害の頻度では何時我が身に降りかかるか分かりません。もし、大震災で生き延びたなら、野外での体験を発揮して生き永らえる術は備えているはずです。ぜひ、家族で野外パーティーをやり体験してください。かならず生きるはずです。

 良い”旅”をされ、実り多い盛夏をお迎えください!Ⓢ atomu 



2023年7月12日水曜日

吉備国の層塔を歩く」シリーNO2

樹勢は旺盛で枝折れもなく四方に張る姿は現在も数百年先までも見る人達に感動を提供することでしょう。現地に立つと立地と環境の良さがこれを保つのでしょうか、人間社会に通じるかも知れません。Ⓢ  atomu

横川の大ムクノキ(県天然記念物) 

真木山 長福寺
この三重塔は美作市真神414にある真言宗の真木山長福寺である。山上にあったのをこの地に移し解体修理と併せ国重要文化財指定を受けた。ロケーションが良いのと改修間もない三重塔は,ベンガラが西日に照り輝く雄姿は古代奈良の都もこうだったのを彷彿させてくれます。Ⓢ atomu
                                        
            

2023年7月4日火曜日

 播磨の峠を西へ東に時に北へ越えて60年 、今は廃村や過疎化と出会う

 播磨の峠を”西へ東へ向かった ”旅人” 

      と「戦後60年の山村の移ろい」


 日本列島の東西の要に位置する兵庫五国を東西から文物が往来し、通過していった。古代は都から大宰府へ、外国使節が九州から、各国から税(調)を運んだ道路が主要道であった。強者の時代になると国界峠を挟んで国盗りの舞台になった。江戸時代には藩主が参勤交代で峠を越え江戸へ向かったのが今の国道なのでしょう。播磨にも数多く城跡があるが、県内には1000を超える城があったというが詳細は詳らかでないらしい。山地探索で山へ踏み込むと村人が隣の里村へ歩いた小径が尾根を越え、乢(峠)頂上の削平地に小さな地蔵さんと旅人が雨露しのげる屋根が掛けてあったりもした。村人や狩人の作業用の掛小屋跡で突然残存品が見つかり心が躍ることも再々である。戦後、山へ入らなくなったのは家庭にプロパンガスが普及し始めた昭和40年(1945)ごろからで、会社勤めが持てはやされ、重労働の山仕事が敬遠され始めた。それが、今日の良材の不足と山の荒廃を呼んでいるのでしょう。もう一つ気になるのはシカによる杉の皮剥ぎ被害です。間もなく市場へ出荷する予定の材の皮を剝がされ価値が無くなり立枯れを待つのです。当時は、一日中、山を歩いてシカに合えるかかどうかで 、鹿の子模様でつぶらな目が振り返ると女性たちは可愛い!!と歓声を上げた。しかし、皮剥ぎを再々見させられると可愛い姿も鬼に見えてくるのです。県内(全国)峠のほとんどは村人が隣村へ農事や連絡、慶事や弔事、時には花嫁が越えたでしょう。 

 最近、ヤマビルの拡散が社会問題になって久しいが、いまだ解決していない。山中だけでなく民家の庭にまで出現するので行政に対策を依頼したニュースがあった。執った対策はヒルが庭に来ないようにする薬剤を村人に配布したそうだが、効果は如何ほどかと尋ぬれば余り効果なし、だそうだ。戦前からヤマビルの生息範囲は限定的で、ヤマビルの攻撃は殆ど無かった。峰山、砥峰、段が峰など草地ではダニに注意していた。それが、ある時期から雌鹿の捕獲が制限されて以後、頭数が急増し、冬季の積雪が少なくなったことと併せ生息範囲が北上始めた。急遽、捕獲をOKとしたが、時既に遅しで、以来、増え続け、山が荒れ、シカと共にヤマビルの生息範囲も拡大した。今はシカの頭数は多少減ったと言っている。

 我はヤマビルに好かれないと豪語していた時期があった。シカの生息範囲が北上し始めた30年以上前であろう、山仲間はヤマビルにやられ足中真赤にしていたが、まだヤマビルの攻撃は受けずいた。当時、鹿被害が宍粟市三方町まで来ていた。仲間と段ヶ峰、笠杉山から岩塊流を下った、仲間の多くは足に攻撃を受け真赤になっていた。我は攻撃なし、と豪語していたが岩塊流で痛烈な攻撃を受け玉砕であった。

 昭和40年前後に登山ブーム起き、若者が野外へハイキングやピクニックへ出かけ郊外は賑わった。ブームに遅れじと初めての標高1000mの山地が峰山高原であった。灌木と雑木の瀬戸内の山で育った若者は見たこともない異次元のススキの原に魅了され砥峰、栃原(生野)高原へも足繁く通った。草原で野ウサギを追い、頭上のワシ、タカを目撃、時にキジ、ヤマドリが急に飛び出しビックリもした。四季を通じて野草も多かったが、花の名は女性が覚えるものだと言って覚えなかったのが、今に影響している。峰山高原で大ぶりの花咲くレンゲツツジに出合い驚いたが、今の環境変化で木陰でも良いから残っていてほしいと思っている。

 それ以後、ヤマビルとの戦いが30余年続き,ダニともお付き合いが続いている。最後に、都会からやって来た親子がヤマビルにやられ足が”真赤になって驚く”光景を想像すると、肝っ玉母さんでない限り ”山は好き” の返事は頂けないでしょう。 Ⓢ  atomu

        

          古代山陽道野磨馬家

       宍粟市の外周と峠道230kmの記録展
 

 



 



ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

北条鉄道北条口駅 北条鉄道、田原駅 北条鉄道,網引駅 JR加古川線,小野町駅  新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり...