2024年6月9日日曜日

ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

北条鉄道北条口駅

北条鉄道、田原駅

北条鉄道,網引駅

JR加古川線,小野町駅

 新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり、植物の息吹を感じながら歓談できるようになった。

 広い園地にはキャンプ用地、コテージ、ドックラン広場があり多目的になっているように感じ、担当彼女に利用の様子を尋ねると、ドックランに来る人が多いと言う。平日と開設間なしで、女性と子供連れの若い彼女が多かった。半年、一年後に若い彼女たちが継続して来てくれると嬉しいのだが、喫茶とか園独自のイベントを待ちたい。

 お暇し、小野アルプスあざみ峠を越え、小野市へ、何度も歩いた歩いた道々を思い出しながら、下来住町を抜けJR小野町駅へ。平日の午後2時頃は列車の本数が少なく、2組の男性に会った。サラリイマン2人、子供を迎えに来られた男性、列車に乗るのでなく便所利用であったようだ。昨晩の大雨と強風で加古川線不通だったので心配で迎いに来られたとか。駅舎のソバ屋も休業で、昼飯はコンビニで在り付けなかった時よう何時も用意するパンをかじる。独であるから県道375号線を西へ権現総合公園へは立ち寄らず、北進し加西市へ。

 久しく出会って居ない北条鉄道網引駅の大イチョウの新緑と航空機事故を記すモニュメントを見学す。鉄道マニアだ知ろうか若者2人駅舎に居られた。次の田原駅へ向かう。サラリーマン時代に同拝が居たので田仕事して居ないかと目を凝らしたが会えなかった。次は法華口駅である。戦前戦中は法華山一乗寺参拝客が乗り降りしたであろう。姫路からはバスで山上までのぼれたので駅に立つことは無かったが、久しく立ち寄りコーヒーを飲む。駅長の女性は話題になり何度かマスコミに登壇しているのでユックリしたかったが時間4時になり早々の退散となる。帰路は加西市内から福崎、夢前と走り、市内で最安値のガソリンを満タンにし姫路網干着であった。

 ホタル、アジサイは少し早かったのと、ホタルが飛び出す迄待つのが辛く、退散したので、どちらも達成できなかった。明日にアジサイを求め安志稲荷神社へ出かけてみようかなと思っている。Ⓢ atomu               ≪  継続ちゅう ...



世界遺産石見銀山と埋没林、三瓶山高原を駆け大雨に遭遇す!!

 先が長いので奮発して播磨道利用す。

 姫路網干を発って、まず、山陽道竜野西ICから播磨自動車道に乗り換え、宍粟JCT、佐用JCTから無料区間の鳥取自動車道を鳥取まで、次々開通が進むR9号バイパスで快調なドライブが進み「道の駅・西いなば希楽里」で初めての休憩す。足湯が復活していたが気づくのが遅くてパスです。鳥取道が開通して日が浅いが、無料の魅力で20回以上は利用して”鳥取"が近くなった。 その分、戸倉峠越えのコースが減っている。          

 山崎からR29号を走り感じること、波賀から先への車がほゞ無く、戸倉峠越えの車が少ないことだ。鳥取道の「無料」の魅力は絶大なのを身をもって知らされている。帰路に時間があればR29号を駆け、宍粟市を走るが車は、5指ぐらいでしょうか。時には貸切りで「道の駅・はが」まで下ることがる。宍粟市内を闊歩した者には寂しく情けなく思っている。

 鳥取から先は工事の進捗ぐわいを眺め、発電用を風車の回転を気にしながら西へ西へと進む。買い物の旅なら魅力一杯の「道の駅」が続くがパスして米子道JCTでは安来道路(有料)に乗り宍道湖SAで昼食、緑一杯のベンチで宍道湖を眺めながらの持参の弁当を開きこれから先が長いので何時もより多めの飯をかきこむ。一路、三瓶高原の埋没林資料館へ。時間が16時25分なので閉館迄30分と短い見学だが、三度目の訪問であるが凄さには感動だが、職員の対応の悪さが気になった。

西日を受け暮ゆく三瓶山

埋没林、このまま埋まったそうな    
 本日のお休み所は決まって無く、屋根がある野営場を求めウロウロし、探し当てたのは、新設のトイレある休憩所で、夕食は焼肉だったのでビールは途中で仕入れるはずが外れ、ウロウロし、地元温泉の観音湯の人に世話になった。フラットな長椅子4脚を並べ、本日の寝床になった。夜中に雨が降り出したが、屋根があり強風を気にしながら寝付き朝までユッタリだ。

      早朝・朝5時の三瓶山

  朝が早いので石見銀山へ向かう。道の駅等も開店前なので、持参したパンで腹を満たし  銀山へ。開山まで時間が有るので周囲を散策し、これまで二度訪れているので

                    強風と雨の日本海の荒波

        来市の和安鋼博物

 入山は諦め、和鋼博物館へ向かう。自動車道を走っていると、激しい雨が降り出したので、危険を感じスピード控え、道の駅で朝食にする。海岸端の道の駅、強風に煽られ荒波が打寄せて日本海の冬を5月に体験できた。雨が降り強風が吹き外へ出られなかったので凄ごい写真は撮れなかった。 制作中続く


2024年5月11日土曜日

廃線が叫ばれる「姫新線終点新見駅から芸備線に沿って備中総社駅」を駆けた!!

  連休が明けた5月9・10日と芸備線に沿って車を走らせて、駅の様子や乗客の皆さんを拝見させていただいた。播磨国に無い新緑の綺麗な山並みに感動しながらどこまでもアスファルト道路を南下し始めた。                                               

 岡山西北部の中心都市新見駅前を発ち、国道182を進み、新見を発ち始めの駅、備中神代(こうじろ)では急行と普通車を見送った。駅舎前は広く待合所も新しく田舎の駅らしくない雰囲気で、昔は賑わった様子が伺える。乗客は女性一人であった。次いで、「紙の館」の三代水車親、子、孫、公園を見学、見学者は一組で我と入替に公園を離れた。何時も感じるのは都会にある公園と対峙させ、緑の中の公園(施設)に集客する努力をしているのだろうかと!

 平時であったが車の数は少なく感じながら、次の駅舎を探しながら進む。江戸時代から利用された旧「東城街道で備後国福山へ通じ、現在、雄都、福山市として発展を遂げている

芸備線、神代駅(こうじろえき)

           スズラン園の案内板

                 親・子・孫水車>紙漉き公園




  見駅前のモニュメント

2024年5月7日火曜日

 日本標準時最北端を尋ね、兵庫五国の大きさと地球の丸さとを再度実感す!!

        日本モンゴール民族資料館
                    但東町の日時計のモニュメント
但東町のモニュメント
夜久野の小学校モニュメント

2024年5月5日日曜日

 連休の終盤の5日兵庫県加東市畑の神光寺の鬼追い会式を見学し、連休最後の外出になりそうです。何故なら、明日は悪天が予想されるのでパソコンと写真や事務整理 をやろう。      

 今日は、中木村姉妹と現地へ向かう。春盛りだが外気温度は27℃を指し、初夏の日差しで車のクーラーが冷風を吐き出す。網干から加西市役所まで約1時間15分、2人と無事ドッキング。山伏峠の石棺仏に向かい、久しぶりに面会するが、劣化が進んでいる様である。

 開催が13時なので本殿が重要文化財の八幡神社で昼食す。東条湖ランドどは家族つれで駐車料1000円の駐車場は満車で遠くに止めさせられ、入場門迄子供連れが徒歩で列を作っいるのに出合う。

 神光寺さん手前で来ると参拝者と鬼追い会見学の車が連なるので、閃いたのはこの先にある茶畑に向かう旨伝え、一台待って神光寺駐車場へ進めた。長年の経験の積み重ねがそうさせたのでしょうか。

 始め、本堂で奉納神伎をやり、その後、青鬼から舞台へ出て松明をかざし踊り始める、次いで赤鬼と続く。松明が終えると、太刀、鉈、などをかざし舞い踊る。前回見学した時に本堂側を正面として踊り舞うので見学は本堂側が写真スポットだが、遅れたので南から拝観となった。田舎の祭礼なので人の頭しか見えない様なことなく、自由に移動でき写真が撮れる。暑いと言うが、気持ち良い日差しと涼風が吹く境内は街中で生活する人には良い按排かもしれません。祭礼が終ると一気に帰宅者が増すので早い目に駐車場へ向かう。Ⓢ atomu 

 






加東市の特産は鯉のぼりと釣り針だがそんな気配が無くなってしまっている、昔は看板も見たが今日は見えなかった。時代のせいだけでないと思うが調べておきたい。

2024年5月1日水曜日

 連休スタートに但馬海岸ジオパークを駆け、ジオパーク館見学

  大型連休が始まった28日、29日播磨国と因幡国との県境の若桜郡吉川村へ入り「寄来屋」に泊り、古道探査隊を見送り、のち但馬ジオパーク海岸とジオパーク館見学し、色々ご指導を頂いた。連休で車が多いと覚悟していたが、多かったのは「道の駅・いわみ」だけで、海岸も夏を前に閑散としていた。お勧めの見どころかも知れません。春の花「フジ」が満開で山肌を飾っていたのと庭の草花がアカ、黄、白が単調な運転を和ませてくれた。R9号線の工事が進み、鳥取、兵庫県境を跨いでいたので、次に訪れた時はどこまで延びているか楽しみである。名勝地探勝は海岸線の地道を駆け、近くで景勝を体感し観てほしい。

 ジオパーク館で館長とのお喋りで拝観者の増員を図るのに苦慮され、対策の継続の無さの苦しさを知らされた。夏でない今のシーズンが子供と海に足を浸けるのに良い時期かと思う。何故なら、車が少なく、激暑で無くて思う場所にビーチを立てるでしょう。

 JR香住駅へ出掛け人混みが有るのかなと思いきや、平時と変わらない駅頭の様子には、少しビックリであった。       ………仕上げ途中です…………

人の居ないJR香住駅

  ジオパーク館の西日本の地震の発生の確立表(色が濃い程発生の確率が高い
             居組海岸の様子


2024年4月18日木曜日

4月17日(水)「はりま風土記の里を歩く会」20周年の記念の集いを「志んぐ荘」で祝う!

 20年前の今日、JR網干駅の駅頭に60人余の初老が集まって、朝日山、壇徳山、下太田廃寺、瓢塚古墳、等を巡るハイキングを実施してから20年の月日が流れ、今日を迎えることが出来た。時間は平等に流れるのだが、それぞれに長い、短いと感じるのが違うらしい。では、我がグループどうだったのだろう!、アット言う間の20年だったたのではないだろうか?          

 同輩の参加が多く、会社企業で勤められた”企業戦士”が多かったので意に沿わなかった人は静かに消え去ったようだ。世話人代表は、去る人の後は追わず、参加される人には「現地へ案内するが後は各々が勉強してくれ!」……と気楽であったので300回を越える例会を開催できたと思っている。「車道を歩くことも多く”車と仲良しは止めてください、痛い目に合うのは個人持ちですから”と交通事故には強く注意している」その他は自由にしてもらっている。    

 20年後の "各々"の顔ぶれ!!

                                                                   参加者の記念写真
細やかな記念の宴会
        記録写真の一部を展示

播磨学研究所・小栗栖所長
歩く会代表・須磨岡  輯
ノンアルコールで酔った席の仲間

 これから先は、進む先は何も決めていない、これまで行けなかった祭礼を追っ駆けてみようかと思う、が開催曜日がバラバラで、世話役は苦慮するでしょうが、仲間に私がリードするからと手を挙げてほしいと、願いたいものだ!、どうだろう。代表もボチボチ引退し、未知の地へ出掛けようと企んでいる。Ⓢatomu








2024年4月4日木曜日

 サクラの開花が遅れ!?・7日・8日がベストでしょう!.科学公園都市のチュウリップも9日からOKですヨ。



4月4日の京見山北面のヤマザクラ

林田川河畔のサクラ並木植木野

          加西市普光寺山門
 京見山北面のヤマザクラ4月2日
        4月4日のヒノキ花粉の飛翔
        
 
 ヤマザクラ満開の京見山北面を見に行こう!!  
我家の庭先の桜の開花は、1日の早朝は無く、午後帰宅すると開花宣言が出来る数の花が咲いていたので、明日の開花の様子が楽しみである。我家の庭先で始まった桜の息吹が今年は様子が違う。何時もなら、南東のサクラが開花し、一日か二日後に我が庭先のが開花するのだが今年は真逆で、一日遅れで南が開花した。サクラの世界は知るすべを持たないが、長く付き合っていると何か変に感じ、天変地異の起きないことを念じてしまうのである。何時もなら、京見山北面のヤマザクラが先行すること4、5日だがこれも2,3日と遅い、のでソメイヨシノと重なった写真を期待するが、悪天続きで、難しいかも知れない。自然が成せる業ゆえ、その年、その年の出合を大事にして来年に送りたい。
 添付した写真は、4月2日と4日の京見山北面の様子であるが、5年前、10年前と対峙すると、燃料革命で、薪が要らなくなり山の雑木を切り出さなくなったのが、雑木山が変わった一番の原因なのです。吉野山のサクラに対峙するぐらいに育てたい
 行政も金を使わなくても、日本国民の桜に対す敬けんな思いをここ播磨(姫路市、太子町)で育ててはどうだろう。そばに、太田池、下太田廃寺、瓢塚古墳、各駅からも近く健康づくりのモデルにしようではないか。近在はもちろん、JR沿線の利用者を取り込めると考える。
 4月2日、4日に桜を追って福崎町へ出かけたが、盛りは7日、8日ぐらいでしょうか。ヤマザクヤマザラ満開を掲載します。Ⓢ atomu    *ヒノキ花粉が飛散始めたようです、鼻がグスグスします。*
今日(6日)桜を愛でにウロウロしてました。播磨の中部、南部は、ほゞ満開でしたが、天気がイマイチでスッキリした青空に下の写真は0、午後4時になると余計にダメ。
科学公園都市(播磨)のチュウリップが開花始め、9日からが見頃でしょう。手頃なお知らせはこれぐらいです。Ⓢsumaoka






2024年3月18日月曜日

 < 姫路市は人材不足か?!>

    サクラの便りがチラホラ聞こえる季節になれば、各種団体企業では人事異動が話題になり、笑う人、悔む人など、悲喜こもごもが伝え聞こえてきます。現在政治の世界で起きている庶民には見たことも無い大金が、受取書も無し、使い道も分からないと、言い訳する代議士先生の脳の無さにヘキヘキしているのは我だけだでしょうか。                     そこで、悪を駆逐する唯一の手は、次回の選挙で投票しないことでしょう。明治生まれの母親が何時も、言っていたのは、お上のすることは間違いないのだと申していたが、現在のお上は悪代官そのままではないか。駆逐され、めでたし目出度し、で終えたら母親も浮かばれると思うのである。                         さて、現在姫路議会で話題になり、市民でも話にのぼるのが、副市長3人、教育長1人が任期半ばで交代すると発表されたことである。まず感じたことは、不仲説ではないか? 市議会の承認を得る三役を同時に更迭するのは、市長の勇断か、脳の無さではないかと勘繰りたくなる。54万人を擁する姫路市に外部から人材を要請するほど、人材が居ないのだろうか? そうは思は無い。        

 兵庫県第二位の雄市である姫路が外部から人材を招聘するのには反対である。地元で育ち、地元を愛し、人口減少をストップさせる行動力が欲しい。学者先生は弁はたつし、知識はあるでしょうが、模範を示す体力と知恵が不足するのではないか。北は雪彦山から南の家島まで駆ける人が欲しい Ⓢ atomu 

<神坐の窟>
<大塩地区の獅子舞>

2024年3月3日日曜日

     みんなで、盛り上げよう、”20周年記念の集い”

 20年間、参加された仲間に感謝と次に続く仲間へ !

 いよいよ開催までひと月余りになり、気が焦るがノロノロしか進まない準備に焦るが、時間の経過は致し方なく、スタートからの20年は重くのしかかってる。会員も体のスピードは悪く、例会の参加も尻すぼみが心配である。記念誌の原稿依頼するが進みが悪い、記念集会の参加者が減るのではないか? と思うが50人の参加を目標にしている。20年の足跡に喜びと、これからの会員の長寿を祝う皆と集いたいと思っているので、いやいやの参加はお断りしよう。     

  創立20周年記念集会開催の詳細をお知らせします。

  日 時 = 4月17日(水)

  集 合 = JR姫路駅南バスターミナル      仲間の参加こう!!!

  時 間 = 午前9時45分・発*10時00分 (志んぐう荘、専用バス)

  開 催 = 志んぐ荘(たつの市新宮町新宮1093

   ☎  = (0791ー75ー0401/芯んぐ荘)

  会 費 =  ¥6500ー(ささやかな食事、記念品あり)

   @  = 受付後に開演まで東山公園散策出来ます、手ぬぐい持参で入浴OK

        「はりま風土記の里を歩く会」会旗
           申込:3月20日 ~3月31日 まで はりま観光バス
            TEL 0791ー63ー6377
     Facebook・インターネット 和田さん<はりま風土記の里を歩く会>

     




2024年2月25日日曜日

 「はりま風土記の里を歩く会」3月例会の「日時」変更のお知らせ!!

   地球温暖化で さくら の開花予想が難しい!

 今年のサクラの開花予想は何時になるのでしょうか?温暖化の影響で早いのではないかと言う。3月末には播磨のサクラ開花、満開が伝えられるかも知れないと考え、例会の日時決定に悩んでんでいる。第3水曜日開催の例会を一週間遅れの第4周にする準備を考えているので、会員の皆さんも3月27日(水)風土記の会に空けておいてください。行き先は未定。開花状態で考えたいと思います。

夢前川書写橋南
大津茂川石倉よりトンガリ山を望む  (2枚)

「20周年記念誌」に皆さんの好きな、隠れた、お勧めの、サクラの名所を事務局の和田さんまで写真と場所を送って下さい。掲載しますので! Ⓢ atomu

2024年2月22日木曜日

 「ボランティア文化に陰り」の新聞一面を見て!!⋯⋯⋯”そうは思は無!”

   ボランティア皆さんの活躍の場を早く作ろう!!!

 「阪神淡路大震災」が発生してから29年になる。未曽有夕の大災害に国民みながどうしようかと悩み苦しんだのである。我が親戚が神戸御影に住まいしていたので、連絡のTELしたが繋がらない。高速道路の橋脚が折れている写真を見て、親戚の家屋も危ないと判断し、救援物資に、カセットコンロ、鍋、ボンベ、ラーメン、2ℓ入り白湯の水、お茶、コーヒー、カップ、コップ、箸、手袋、マッチ、他は忘れた。すでに姫路のスーパーのラーメン、2ℓの お茶は品薄になりスーパーを駆けた。白湯なら加工が利くのと、寒いので火の大きなカセットコンロにし、マッチ、手袋は災害後の暖を取る必需品と考えて用意した。兄弟2人でキスリングと背負子で運搬する覚悟で出発す。R2、R250は通れないだろうから、福崎、加西、小野、三木を経由し、まだ六甲トンネルが一般車の通行可だったので、なんとか神戸の街へ入った。これからが大変、パトカー、救急車、消防車、一般車、自衛隊車が混在し動けなかった。弟が神戸で生活した経験から何とか王子動物園そばの自衛隊車が駐屯するネット沿いに車を止め、荷物を担ぎ歩き始めた。姿を変えた町並みであったが灘区に勤めた弟の経験が生き、何とか親戚の家を探し出せた。酒蔵会社の蔵も壊れ周囲も倒壊していたが、数年前新築していたので倒壊はせず無事だったが不在であった。小学校に避難されていると考え、これも弟の勘と神戸に居た経験が生き、何とか見つけ無事の親戚家族と出会えた。

 目的を果たした安堵感で未曽有の震災の姿を見ておこうと、橋脚が折れた高速道路、ビルの一階が壊れ狭くなった間に潜る自衛隊員、レールがずれているモノレール、中心部へ向かう車が多すぎて手の施しようがないポリス、救急車も先へ進めない、など等が、震災8日後の神戸の街の姿である。

  能登半島地震から一か月半を過ぎたのに「災害ボランティアセンターを経由して活躍する人数は延べ2739名」だと新聞一面に目がいく。何故こんなに少ないんだろうか?マスコミでしか情報が得られないが、個人で災害地へ入れなく、20000人を越えるボランティアを石川県が受付し、ストップを掛けていると言う。OKを貰った団体のみの2739名だそうだ。災害発生時の援助は初動がまずで、人命救助は72時間以内に救出すれば助かる確率が高い。今回もエキスパートによる救出があったと思うが、広範で道路決壊で到達できない集落が多くあったと聞くが、お爺ちゃんが居ったのにとか、子供の声がするのに、助けてやれなかった無念さは計り知れなく多いと聞く。道がダメなら海から入れば良いではないか。災害地に向かう医療班は多少のサバイバルはOKだろう?  と思うし、自衛隊の医師団が向かえば良い。過疎地の安心は外部の人や医療班の出会いであるから、一番に医療班と共に地元の古道を知る詳しい人が同行し安心を届けてほしかった。これからは、ガレキの片づけに移行するので、動かない石川県を外して早急に市町村が頑張って、力になりたいと来県するボランティアは質素な宿舎で頑張ってくれるでしょう。これを用意してガレキの撤去に若い力を発揮してほしい。知事がマスコミに出る姿は、災害時の一分一秒を争う気迫が無く、何々を作ります……だけである。辛抱強い現地の皆さん、老人の皆さん、大声を上げて助けを求めて下さい。Ⓢ atomu

雨の千枚田
にぎわう輪島の朝市

重要文化財の上時国家












 

2024年2月19日月曜日

  西国33ヶ所観音霊場を完歩して!! 第1回

   西国33所歩いた記録、色いろ!!!

 60歳定年を前に此れから先、幾年元気で歩かれるかを知りたいと考え、西国33所を歩こうと考え実行した。25年前以前だと西国歩きがブームでなく、33番の谷汲寺までに出会った巡礼者は大学生一人と、プロカメラマン、女子の小学生、道を教えてくれたご婦人2人、ぐらいでマイペースで完歩した。

 歩きでの約束は =  正月1日から歩き始め当年の12月31日までに完歩する(現役で休日と休暇利用して)。前回リタイア地点まで引き返し、1mもごまかさないのを基本とした。野宿を基本とした(雨と身の危険感じた時は宿利用した)。出来るだけ現地の人とお喋りする。地図(1/50000),コッフェル、シュラフ、マット、集印帳、着替え、雨具、筆記具、ガイドブック、食料、などであった。

 12月31日早朝の列車に乗り大阪、和歌山と繋ぎ、紀勢線も何度か繋ぎ新宮駅に着いたのは年が変わり新しい年の元旦を迎えていた。駅で始発のバスを待つ覚悟あったが、大阪からの女子大生二人も参拝に行くのだと聴き、大奮発をしてタクシーで那智山へ向かった。すでに参拝者が多く交通不便の寺院、神社で新年を迎える人の多さに驚きであった。巡礼者は見なかったが、多くの人が集印帳にサインを貰おうと並んでおられた。西国33所の集印帳には参拝した11日が記されたのが嬉しかった。山上にはたくさん旧跡が


有るのと、那智の滝を入れた御来光を拝そうと滝が見える高台へ向かった。これから向かう「大雲取越」への入口を確認しから、夜が明けてくると売店も商いをはじめたので、店主を冷やかしたが何も買わなかった。参拝したあと境内を散策し、青岸渡寺で朱印帳2冊と金剛杖を買い手に入れ、サインを貰いこれから展開する1年のドラマを記す事にしよう。夜が明けると、次々参拝者が登って来て、熊野那智大社、青岸渡寺の境内が参拝者で混み始めたので、青岸渡寺横の小さな「大雲取越」道標に送られスタートした。Ⓢ atomu






2024年2月16日金曜日

   忘れて居ませんか!、山崎断層地震 !!! 

 阪神淡路大震災から29年、日本各地で大地震が激増するので我が市町の長は、我が足元を忘れていませんか!!!。

 昭和15年(1940)に生を受け、今日まで生き長らえたのは、「神のみが知る成せる業なのだろう」か。世界大戦を無時生き延びた幼少年は、食糧難を両親の懸命な努力で十分な食料は無かったが、他人の物を盗み迷惑を掛けることもなく、貧しくとも大きく育ててくれた。どの様にやりくりしたのかは、知るすべも無いが、学校に納める諸費用は何時も忘れて(言いわけ)遅れたのは今も鮮明に思い出せる。現在学校では、欠席する生徒が多いようだが当時もあった。貧困による諸費用が納められない、親が仕事で不在なので小さな子供の面倒を見なければならない。金はあるが子供に勉強させず、家業を継がせる家庭もあった。

 昭和も30年、40年と進んでくると戦前から継続した商売方法の徒弟制度が会社員と言う新しい制度になり、若者は会社へ勤め青春を謳歌し、社会問題化し始めた。そこで、政府はグループ活動を推奨し、地域では青年団、4ℍクラブ、全国的にユースホステルを開設し健全な若者を旅へ誘い、ブームを呼んだ。
 戦後間もなくは、全国的に台風の洗礼を沢山受けたと記憶している。家が倒れるのではないかと思うほど揺れた。ジエーン台風、伊勢湾台風、他などだと思うが、戦後間もなくに大地震が起きたのは少年は知らないが、二階で寝起きしてたので地震の経験は数度はある。近隣で大地震の経験は無く、昭和を終え平成になると、”山崎断層地震が近い”と騒ぎ出し、各所で試掘が始まった。山崎断層の支脈、”暮坂断層‶が揺れ震度4を記録しての、結果は知るすべを持たないのは、その後、日本各地で大地震が多発するので、山崎断層地震は遠くへ追いやられた感がある。
 阪神淡路大震災以降に発生した大地震は全国に跨り、羅列は最終稿に送るが、北海道から九州(熊本)までで、地震国日本を象徴するような回数である。
 今回の能登半島地震の兆候は2年以上前からあったのに、行政が何かをやったとは聞いていないし、発生後の対策のゴタゴタにも腹立たしい。石川県は四周を海に囲まれているので、自衛隊がオーバークラウドで上陸し、救護の品々を寒村に届け、村民を救出するものだと考えていたのに、テレビ画面からは伝えない。何故だ!!、また、石川県知事が記者会見の時、テレビで机の前で椅子に座り足を組む姿に接した、何と心の貧しい知事だ、と感じ思ったのは我だけだろうか。
 最近の山崎断層の様子を知りたい、30年前には対応を考え、対策をしたはずなのに最近の山崎断層の様子がマスコミからは聞こえてこない。この時期に「山崎」は受けないだろうが、今回の能登半島地震を契機に、山崎断層の危険に繋がる地域(市町村)で連携した行動を起こしてほしい。10年後に対策が空打ちなら良かったと歓び、次の10年へ備えれば、備えが3重になるはずです。”備えあれば、憂いなし” 小さな備蓄を寒村々に毎年やれば良い。ならば財政の負担は軽い。今回の災害を見て、車で行けるものだと考えたが、消防車でも救えない、救助用備蓄(食料、カセットコンロ、通信用の電源、用具)が用意されてなく、田舎ほど自治会組織の絆は強いのが生かされたのだろうか。テレビ画面には連絡がなく、食料も底ついた、との悲しい画面ばかりが多いなか、公民館に村全員が薪で暖を取り、知恵を出し合い倒家屋に挟まった人を柱をテコに救出し、頑張っている。とか、漁船を出して、漁港のある村々に品を届け周った。昔の峠を越え寒村に入った。都会の人には出せない知恵を発揮したのを聞きたい。
「暖かくなれば、阪神淡路以降に発生した各地の大地震や災害の復興状態や、村仲間と離れ離れになった寂しさ等を生で聴き歩き、テレビやマスコミ出ない姿を仲間に伝えたいと思っている」
 いつ起きるか分からない地震に、遭遇した行政の長は「想定外であった!」と言い訳する姿は、もう飽きあきである。起きても最小の災害で終えたら、さすがうちの市長は大した者だと大喝采するでしょう。長は「市民の命と財産を護るのが我々の仕事だと」声え高に吠えるなら、毎年、少額の予算を集落に配り集落が中心になり補助道具を用意することが「生命と財産を護る」ことが出来る最短の

道だと信じている。また、過疎化が叫ばれる村ほど戦前に組織した「隣組組織」を立ち上げよう。老人も会合に顔を出し、昔の知恵を発揮し、お世話になるのでなく参画する歓びは若者、少年にも受けるでしょう。また、通学する子供に「おはよ~……」と声かけし、存在をアピールしておこう。長年慣れ親しんだ仲間と共に……と仰る老人の命を長らえる方法だと思うので、隣組を大事にして欲しい。
 最後に四周を海に囲まれた能登半島に、客船(フェリー)を廻す話は聞かない、何故だ!、阪神淡路大震災に経験し、有効を体験しているはずであるのに、石川県の長が言わないなら政府で先頭を切り、寒い体育館から開放してやってほしいⓈ atomu 












 

2024年2月1日木曜日

 明日二月三日は(令和六年)『節分』で、恵方は「東南東」だそうです。

京丹後、鬼博物館の大鬼
男女のなり合いを鬼に託し!!

 令和六年の恵方は「東南東」潤(うるう)、甲辰(きのえたつ)歳だと「暦」はいう。戦後間もない貧しい家庭の”鬼追(節分)い”は沖が近かったので海苔は安く手に入ったので、干瓢(かんぴょう)入りか漬物大根を刻んだ巻き寿司を「かぶった」のが季節変わりの歳時記の楽しみであった。大人たちは沖へ海苔拾いに出かけ、拾ってきた海苔は庭先で加工して佃煮に姿を変え夕餉のおかずになた。            
 暦では明日3日は雑節の「節分会」です。子供が成人し、孫も社会人になると爺(ジジ)より友達とスイーツを頂く方に足が向くのは致し方ないことだが、平安時代から続いて戦後間もない時代は、家族皆がそろう数少ない夕餉あとの楽しい行事であったのが何時の間にか、戦後復興が進み父親は朝早くから夜遅くまで働き戦士として、母親も会社勤めをやり、夕餉のちゃぶ台を片付けたあと遅くまで夜なべして子供の服の繕いをし、朝眼が覚めると枕元に繕いを終えた靴下、服がたためられ子供の寝覚めを待っていた。当時の親たちの働きと苦労に”ありがとう”と言っただろうか、忘れたが言っていないかも知れない。当時、子供の働き口は新聞配達か、牛乳配達ぐらいであったのを共に経験した。ので今も目覚まし時計が無い生活を出来ている。
「二月」は旧暦では如月(きさらぎ)呼び、『日本書記』に用例が見られます。如月の語義は、草木の芽が出し始めることで、着物を更に重ね着ることだとも言われる(衣更月)。他に,華朝(かちょう)、春分(きさらぎ)、絹更月(きさらぎ)、雪消月(ゆききえつき)、など10指を越える呼び名がある。「4日」の立春を聴くと春近いと感じるのは我だけだろうか、庭木に野草に眼をやり、春を見つけたいとなったりし、見つけると嬉しいのである。
「節分会」は今年二月三日を節分としている。もともとは、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指し、一年に4回あったが現在は立冬の前日の一日だけとなった。旧暦では正月を迎える月なので、節変わり、年越し、年取りなどと呼ばれ、災厄、邪気をはらう行事として行われ、豆を投げ、「鬼は外、福は内」と呼ぶのは中国から伝えられ宮中に伝わり、庶民には江戸時代初めでしょう。今も、玄関にイワシ、柊を据えるのは悪臭で家内に鬼が入らない考えからで、戸主が投げたマメを年の数だけ拾い食べたのは半世紀をゆうに超え遠くなった。
 季節を感じる年間行事や人生の節目にお参りする儀礼などなど、風土記を歩く会員皆さんは還暦はすでに終え、古稀、喜寿祝いは、どの神社にしようかと考えておられる方もあるでしょう。最後に、年間を通して各所で開催される歳時記に足を運び、現地の人と喋り、想いを肌で感じるなら日々の生活のスタイルも変化し、張りが出るでしょう。明日は何処へ出かけますか! Ⓢ  atomu
 



 











 


ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

北条鉄道北条口駅 北条鉄道、田原駅 北条鉄道,網引駅 JR加古川線,小野町駅  新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり...