2023年11月27日月曜日

正月が越せるようにと宍粟の山仲間が新米の差し入れ!!

    宍粟市外周230㌔捜査の記録写真【宍粟市役所ロビーにて
”しそう”へ足を運んで60余年どう見、どう変わったのでしょうか !!

 彼と出会ってから30年越えに成ろうとしている。元気な時は宍粟市へ日参し、宍粟市の地元古老に地元のワシらより要知っとるナ……と言われたものだ。ひと月のうち10日以上通っていたこともあった。宍粟市は大きい(広い)、千種町の奥、江浪峠、波賀町の奥戸倉峠の先は他県で、我家から1.5時間以上掛りガソリンが高騰した時の心の痛みは如何ほどだったのだろうか。宍粟市に入れ込んだのは、第一次登山ブームが起きた60数年前1000m峰の峰山高原の暁晴山、段が峰に登ったのがきっかけと、三室高原でユースラリーをやってその後、県主体の宿泊棟が完成したなどなどが若者に火を付けたのだろう。マイカーは無いがバス電車、汽車を利用してローカルの旅を楽しんでいた。当時、すでにプロパンガスが各家庭に設置が始まり、台所革命が起きた時期でもあった。まだ、戦後の傷跡は残り、山は禿げ、幼木を植林した山肌が続き見晴らしがあった。登山ルートも古くからの峠道に植林用に付けられた細道が縦横に走り、面白くもあり注意をしながら進んだものである。当時植えられた林は50年以上が過ぎ伐採を待っている。その後植えられたスギ、ヒノキは瘦せ細り、間伐が進んだ京都北山杉の様に見えるが明るい樹間は人間と一体を感じるのです。播磨の人工林は間伐間引きがなされてない林が多い。豪雨による山荒れの多くは人工林で災害をもたらし、復旧に莫大な経費を要している。ならば、間伐伐採が進んでいるかは、素人眼では数%なのでしょうか。

 60数年宍粟市に日参し、村人とも縁先で、道端で、宴席でお喋りをし、心情は聞き尋ねたのだが何も出来なかった。村でとか、行政と村がタイアップで大きな波を起こせなかったこととが心に残る。早くから若者を地元に残そうとする考えがなかった。北部の3スーキー場が閉鎖したのは雪不足もあるが、高齢化が大きな理由である。開場した当時の賑わいを忘れられない人の運営ではダメで、若い知恵と行動力が決めてである。たとえば、海の休憩所が30日で1年間お稼ぎをやる良い仕事だと持てはやされた。が学校や街にプールだ出来て一年中泳げるとかで若者、学校行事が無くなる。また、県北の神鍋、鉢伏スキー場もしかりであった。一年通した集客を狙い、スポーツ、ブラスバンドの合宿を受け始めたが、行政の指導の無さと民宿の個人プレーがあって、関西一円には広まらなかった。                       小さなが波であったが、彼が行政マンであった時「山の国宍粟」を謳うなら、森林従事者の仕事はもちろんだが、近在や神戸大阪から登山者に”来てもらおう”下山後は「道の駅」で買い物、「日帰り温泉」に浸かってもらう。登山口で「地元のお喋り」は、老人の刺激と街の人の農産品の希望が聞け、農作業に励むきっかけになる。と話し合いハイキングコース整備と一市町村が書店に並ぶ『宍粟(しそう)50名山』の出版は全国初めてで多くの賛同を得た。今も、ボランティアがコース整備を続け多くのハイカーが宍粟市に足を運んでくれる。他に、源流の森100選、名水百選に選ばれた二流がある恵まれた山村市である。Ⓢ atomu


2023年11月25日土曜日

【1月例会・はりま風土記の里を歩く会」室津の賀茂神社参拝と ペーロン城で新宴会 】!! 

辰年の新年の集い「相生ペーロン城」開催のお知らせ!! <はりま風土記の里を歩く会.例会>

集合 姫路駅南 バスターミナル  時間 8時30分(集合出発)

コース 姫路駅~R250号線~新舞子~七曲り~室津港、賀茂神社参拝~相生(ペーロン城)~昼食〈 新年の集い 〉~神戸神社参拝~姫路駅(16時頃)

会費 5000円+500円=5200円   申込 はりま観光バス(電話・0791₋63₋6377)                 受付 12月11日から22日                  メール harimakankou@watch.ocn.ne.jp

先着 25名といたします

11月7日訪れた磐座神社の11月26日の紅葉です

   辰年は当たり年なので良いことがあるように、早春にお願いしようと思っている。アッと言う間の卯年だった、のはコロナの延長と猛暑の襲来で外出を控えたからだと思う。毎年、一年が短くなるのだが、来年は多少とも長く感じる辰年になるよう勤めましょう。その、スタートは新宴会がチャンスです!!! Ⓢatomu  

      出雲< 金屋子神社>参拝
    日本でただ一ッ古代製鉄法で鉧(ケラ)を吹く工場


2023年11月24日金曜日

 < 第3話 > 東経135度を駆ける・第二神明道路を跨ぐ標柱と住宅団地公園の日時計!!

 安全運転手に同乗して高速道路でパチリ、巨大団地内の大きな公園ないの日時計

 神戸市西区に所用を作り、神明道路を東進する。標識が有ったのは知っているが、どの辺りかは存じないので玉津ICを過ぎた辺りから注意しながら進む。高速道路を跨ぐ標識を見つかったが逆光でパチリとはいかず、数度シャッターを押し安全を考え高速を下りる。所用を終え、春日町公園の日時計を探し始める。街中は駐車場がなく、何時も苦労を強いられるが、今回は同乗者が居たので助かる。大きな公園の日時計がどこか分からず公園の周りを数回巡り、この辺りだと定め、日時計に向かう。日時計の仕上げが暗いのと陽は西に傾いており、盤上は暗いが証拠の写真はパチリ。小学校校庭のモニュメントは次回に回しこれで今日は終える。Ⓢ atomu

神明道路跨げる標識
春日台公園の日時計
<22日の開発団地の紅葉は盛りであったが、盛夏の猛暑で枝葉の揃いが悪くバランス悪い並木道であった。植木が若いので立派になるにはしばらく月日が要りそうである。>


2023年11月23日木曜日

 消えた「相坂隧道」プレート返却を!置塩城から八徳山~大歳神社~白口峠~生野山社~猪篠八幡神社!

櫃蔵神社の大イチョウ


   播磨中部は黄葉、紅葉が見頃です!!                

                                        八徳山八葉寺                                                                                                           

  1. 白口集落地蔵尊


白口集落、白口神社

神河町大歳神社
白口集落墓地

生野・山神社


 夢前町塩田の櫃蔵神社の大イチョウの黄葉を撮ろうとカメラを構えた人が居られた。暮坂峠頂上の紅葉に足を止めシャッターを押し、須加院へ下った。田川神社は紅葉は無く、狭巾の相坂隧道を無事超え、急坂の山上に建つ八徳山八葉寺へ向かう。何度か訪問しているが紅葉はどうだろうと訪問は初めてである。八徳山でこれだけ見事な紅葉にお会いでき嬉しい限りである。長く訪れていない作畑新田の吹上から白口峠~生野鉱山発祥の地で、盛時は800軒もの家ががあっ白口集落の苔むした墓地、30体余の地蔵尊の赤い前掛けが色あせ5年振りの訪問を感じずにはおれない。街道筋に数軒の家が並ぶが残るが在宅は一二軒の様である。神社はモミジが満開で写真に撮り記録に残した~生野、猪野々(R429)への途中の渓谷は少雨で滑床が見えいつもの女郎ヶ滝の迫力はない。生野鉱山の守り神「山神社」の大モミジ、大イチョウが満開だが訪れる人はいない。姫路から生野へ嫁いだ友人宅へ寄りご機嫌伺い、互いに歳を重ねて何時消えるか分からんので但馬へ入り時間があれば声掛けしている。現在の「生野峠」は古くには「真弓峠」と呼んで播磨の雄赤松と但馬の雄山名が峠を挟んで戦った。峠を越え直ぐ左の村「猪篠」の八幡神社へ向かう。今年冬に伺って雪を被った狛犬写真に撮った。紅葉はイマイチであぅた。国道をひたすら南下し、福本で大歳神社へ、福本藩邸跡に立ち寄り秋盛りをカメラに収めて今日一日の遊行を終えた。Ⓢ atomu

追伸 播磨は今紅葉が盛りですが、今夏の激暑でいつもの冴えた色の外れが多い。木々の枝先の葉は落葉し、残る葉先は枯れて様にならない樹様である。これ、自然が成せる様だろうが、来年は回復するだろうか、一段悪くなり夏は激暑が続くかも知れない。春夏秋冬が似合う日本国が続くことを願っている。

次いで 相坂隧道の入口のプレートが無くなっている。何時無くなったか、どうして外したのかご存知ないでしょうか。隧道完成から100年を越えた証の近代化文化遺産のモニュメントが無くなるのは、遺産に心する一人として心痛い。立派な

  盗難に遭った相坂峠隧道のプレート

字体で書かれた石造であったと思う。もし、盗難なら返却を、自治体が外し保管したのなら、別のプレート挿入してもらいたい。返事が欲しい! 



NO6 「兵庫5国の層塔」をいく。播磨最北の石峯寺!!

夏にはスイレンが咲き暑さを忘れさせてくれる
階段を上がると観音堂が誘ってくれる
御坂のサイホン、御坂神社、箱木千年家、六條八幡神社、を駆けて元嶺山石峯寺へ
 ここが播磨かと思うほど遠い。すぐ先が摂津(神戸)を考えると致し方ないだろうが。現在は神戸市北区淡河(旧播磨国)だが背を接して旧吉川町は播磨国の最北東端なので遠い姫路より神戸、大阪との交流が強い。高い峠を越えた交流で無いのもそうさせたのだろう。この辺りは低位の丘陵が多のでバブル時、そこかしこにゴルフ場が作られ、今も、休日には阪神間のナンバーを付けた車の往来が多く「姫路」ナンバーは蚊帳の外なのも納得である。美嚢郡の最高地点の山中に 岩嶺山石峯寺(がんれいざん、しゃくぶじ)が建てられた。古くには法道仙人開基を伝え40坊もの塔頭があった、が現在は3院が石峯寺を守っている。石段を上がると重要文化財の観音堂が正面に鎮座し、参拝者を誘うので自然に観音堂へ足が向かう。右手にも重要文化財の大きく高い(24.1m)三重塔が背を伸ばしている。1954(昭和29年)年に解体修理され、杮葺きから銅板葺に変更されている。なぜ、銅板葺に変更したかを説明されていないのが不満である。文化財指定の塔で県下で一番背が高いらしい。落雷の多い東播磨北部で背の高い塔が無事生き延びたのは奇跡ではないか、塔を守るように高木を育て、防ぎ守った先人の知恵ではないだろうか。現在は避雷針が有るので落雷は防げるが、古代は前記したように高木で落雷を防いだのだと思う。それに気づいたのは写真を撮ろうとカメラを構えると高木が邪魔になるのであった。また、古文書に落雷で焼失したことを目にすることと、聖武天皇の国分寺を建てるようにとの詔を発してから1280年余。国分寺跡だろうと言われる場所には塔礎石がある、がどの様に焼失したかは資料は少ないが、但馬国分寺は落雷で焼失した記録があるらしい。また、鳥取は礎石は残っているが三重塔は残っていない。何故かはこれからの調査だが、現在の私見は冬に落雷が多い山陰が一番の原因で、再建をいつの時期かに諦めたと考えた。一方、岡山県は三重(五重)の塔が国内最多の十三塔がある。現在の時点では「晴れの国、岡山」を高らかに謳うのには、雨が少ない瀬戸内海気候で、雷も少ないと言うのであろう。他にも理由は有るだろう、宮大工が多い、スポンサーが居られたなどだろうが決定打は無い。昔の人達は天災は神の仕業だと思っていたであろうから知識は現在が優るが、知恵は格段古代人が優るだろう。これらも検証しながら兵庫、岡山、鳥取など近在を駆け答えに近づけられ場だと思っている。  Ⓢ atomu

 





2023年11月13日月曜日

 第1話・東経135度【子午】線モニュメントと【日本のへそ】標識を追って!!

   日本時間の原点である「子午線」と「日本のへそ」へ !! 

 日本の中心(へそ)として西脇市は有名であるが何故かというと、東経135度線と北緯35度線が交差する地点があることから「日本のへそ」宣言をしたからなのです。他に135度と35度が交差するところが無く、大たい日本国の中心あたりに有ることが認められたからでしょう。 一方、明石市は「子午線のまち」「標準時のまち」(北緯135度線)として有名で、市立天文科学館が設置されています。日本の標準時の基準としての世界で認められたのは、イギリスのグリニッチ天文台を「ゼロ度」とし、9時間後の東経135度に日本の子午線(135度)が通る位置に明石市あることを「日本の時間の基準とした」ことが世界の会議で認められたからで、スタート地点のグリニッチ天文台にならい天文台を明石市が「市立天文台」を建設したことから有名になったです。

 さて今回、135度線通過市町のモニュメントと通過標識を求め駆けてみました。日本海に面した京丹後市から和歌山県までと長距離を駆け、現地の皆さんの思いとモニュメントとある場所を写真に撮る計画である。冬季は雪のある日本海は避け、中部から南を探査し春には北部を考えている。2日間走ってどんな場所の設置が多いのか、とか、学校に設置が多いことが分かつた。

「子午線の通るまち」丹波市

2023年11月10日金曜日

 播磨の紅葉を愛でる例会と、220年前の狛犬の報告です !!!

    播磨の隠れ名勝の紅葉と黄葉を巡る。!!!

  標高が30mから450mと広いので今回の旅はやや不満であった。隠れた紅葉の1位の名勝と思っている、磐座神社の紅葉がイマイチであったことかもしれない。スプリング8(科学公園都市)のメタセコイア並木並木はベストであったと思っている。次いで訪れた佐用の大イチョウは間もなく満開の色付きで良かった。これ以上求めると落葉が始まり、歯抜けになった枝枝を見ることになる。昨日の雨で少し水量を増した千種川の流れを眺めながら、水量が低く赤穂から高瀬舟が上ってこられないことも再々あっただろうにも、船の安全を願っての金比羅神社が建つ船着場跡での対話である。

 一番の期待は清林寺の紅葉であるが,忘れてならないのが江戸(享和元年(1801)時代制作の狛犬です。狛犬は神社に座るのが一般的なのと、門内すぐに有ることで長くご無沙汰したのをお許しいただきたい。皆さんも訪れた時はご挨拶され、220年の歴史に触れてみてください。今回は一昨年訪れた時の感激を期待していたが、燃えるような感動の色は無いが、多種多様な色いろな紅葉が静かに迎えてくれた。イチョウは黄葉が残っており、木々による盛りが違うのを教えられたのを、参加者に時期があるのを伝えておいた。さらに南下して上郡町の大避神社を訪れた。ここの目当てはイチヨウと狛犬2対であるが、着くと直ぐ足元の銀杏を彼女たちは拾い始め、帰ってからの仕事を作っていた。標高が25mなので黄葉の進みは遅いが、陽に照り輝く様は黄葉の進んだ巨樹に無い上品に輝いて見えた。あと、2週間あればベストになるでしょう。最後にJAの「旬彩蔵」へ寄り野菜の買い込みをやり、 今回も雨の無い、温かい一日の秋を楽しめました。 Ⓢ atomu

  忘年会のシーズンを楽しみにしておいてください。 

                                 佐用の大イチョウの下で
清林寺の狛犬(享和元年(1801)九月吉日)
清林寺にて
    科学公園都市中央公園 ・メタセコイア並木




2023年11月9日木曜日

氷ノ山(1510m)から積雪の便りが届かない、どうしてだろう ?!! 

三の丸展望台
三の丸避難小屋
殿下コース入り口

 遅まきながらの初冠雪が山上を照らしました。
  早い時には10月20日過ぎに冠雪の便りが届くのでだが、遅くとも11月初旬にはミゾレが朝方に雪になり初冠雪の報に接するのである。毎年、天気予報などで初冠雪の予想を立て、降るだろう思えば朝早くから氷ノ山を目指していた。ここ何年かはご無沙汰しているが、冬の到来の雪を真っ先に触れたい思いからであった。10年以上も前だろう、R29号から「氷ノ山林道」へ入った頃から降雪が始まり、殿下コース口ではタイヤが半分近く浸かるようになりこれ以上だと動けなくなる危険を感じたので、車はUターンさせ帰路のコースを取っておいた。せめて「三の丸」までと、装備は万端に、歩き出すが雪は増すばかりで帰路を考え途中退散をきめた。往路の車の轍は消え、通いなれた夏コースの林道を思いながら安全なコースを選び下山を始めた。4WGとスタッドレスタイヤが新しかったのでスリップしながらであるが、下りなので何とか「ヤマメ茶屋」に着きひと安心である。ほとんどが、初冠雪は予定が立たないので独り入山が多いのだが、これだけの豪雪は初めてで、一人より二人、二人より三人の方が安心だが、リーダーの決定に従うことをしっかり決めておきましょうう。

 今年は降雨が少ないのと、寒気の南下が浅いのが初冠雪が遅れた一番の原因でしょう。日本の四季が無くなると心配する輩がいるそうだが、気象庁に基準の見直しをする時期ではないかと申しておきたい。気象予報士でないので予報は当たらないが、-6.5cの寒気が近畿を大きく覆えば初冠雪は期待できるのだが。80年生を得た、体験から申すなら扇風機が無い、床机でウチワ片手に涼を得ていた時代、日中の気温が30度超すことはザラデはなかった。九月五日の神戸新聞に「県内の5地点で史上最高気温」の記事がある。最高は豊岡市の39.4度だと言い、月平均も豊岡が29.9度で最高である。今年の県下の夏の30℃越えは120日を越え最多であった。北海道が35度越えを再三記録するなど、夏は北海道、冬は沖縄のルールは消え失せそうである。昨日(11/06)も九州で30度越え新記録だとマスコミが報じている。海水温が高いので南の魚が北上し、北の魚はより北へ、回遊魚も沿岸から遠く離れてしまうので不漁が続いているのである。どうだろう、東北から北海道で漁獲する日本漁船の魚貝類は流通に乗せ、ロシヤ産などからは輸入せず、3、4年もすれば欲しくならないのではないか。欲しそうにするから単価が上がり、今では庶民の口に入らない値段になってしまった。現在、庶民がいかほどロシヤ産を口にしているか調査したらどうだろう。

 来週(11/12以降)には寒気が南下するらしいので初冠雪を期待して、対策をして待つことにしよう。Ⓢ atomu                                 

  @ <8年前の 氷ノ山の初冠雪の写真が見つかりました、お待ちどう様でした >



 

2023年11月4日土曜日

   NO5< 兵庫五国の層塔を歩く > 丹波柏原八幡宮に聳える三重塔     

 豊かな田舎の丹波と柏原八幡三重塔に木の根ばし !!

 10月中頃から11月下旬は丹波は名産「丹波の黒豆」や「山の芋」販売に合せ、近在はもちろん近畿一円から人々がやって来る。にわか造りの店舗のオープンには我さきと客が駆けつけ、二束三束と抱えて車に駆ける。山の芋は単価が高いので客は落ちるがシーズン初日には馴染み客が来るようである。丹波松茸は京都、大阪の料亭に流れるので眼にすることが無くなり、庶民には遠い食べ物となった。一度だけ丹波の山で松茸に出合ったことがあったがその後、トントご無沙汰である。猪肉(ぼたん)は「神戸牛」と双璧の値段なので手が出ないのだが、友人が猟師をやっていたのでおこぼれを頂いていた。時には、手伝いに出掛けて命を頂いたこともある。その友も、老いて猟師を終えたので、おこぼれが届かなくなっい。

 それらに、合わせるように丹波の紅葉が始まる。入山料を徴収する寺もあるが、車を駆けていると、あちこちで紅葉、黄葉に出合う。山裾の村落に映える紅葉(黄葉)が丹波の魅力で、濃緑の山、ひこ生の田んぼの薄緑に空を突く黄葉(紅葉)の景色にそこかしこで出合う風景が老人には懐かしく魅力なのである。50余年、兵庫五国をそこかしこへ出かけたが瀬戸内側や日本海の但馬地区とは違う、何故なのか分からぬが雰囲気(かぜ)が違うように思う。これは、豊かさなのか、風土なのか。瀬戸内のせっかち気性、言葉。但馬の雪を生き抜く屋敷と根性は、丹波地区では読めないのです。昔から標高600mから700mの山脈が巡る盆地を丹波高地と呼び、この寒暖差が丹波黒豆、小豆、山の芋、松茸、丹波栗、猪肉などを生み育てて、1000年余、都の食を支えていたのである。などなどが、瀬戸内や但馬に無い気候風土が今に見る姿を生んだと思っている。

 他国の者には本州の分水嶺の最低標高100m弱が丹波に有ることを知らないだろう(日本の最低分水嶺は北海道)。彼らは加古川と由良川が分流し、急坂流が無く京丹波、京丹後へ至るのを知って交流し先進の文化、文物を呈受していたただろう。
 そんな丹波柏原(柏原藩二万石・藩主織田家)の「柏原八幡神社」の三重塔を紹介しよう。県下で、神社に聳える三重塔は六條八幡神社と名草神社二基と、我が塔の三基である。
 柏原八幡宮の創建は欽明天皇(629~641年)時代に三重塔が建つ場所に「牛頭天王」を祀ったのが始まりだと言う。三重塔は応仁2年(1468)に建つた、その後、数度の消失の度に再建された。現在の塔は彫刻師、中江権治が文化12年(1815)に檜皮葺で再建し現在に至る。軒先などの彫物は彫刻師の再建を彷彿させ、眼を見張る出来である。現在兵庫県文化財の指定を受ける。本殿、拝殿は「権現造り」の初期の造りである事から、国の「重要文化財」の指定を受けている。戦禍だけでなく層塔の宿命である落雷による消失もあったのでないか?。再々の再建を果たせる財力は、どこに有ったのか、藩の財力二万石では無理だろうから、村民の浄財があったのではないか、なども知りたい事象である。 Ⓢ atomu
柏原八幡宮三重塔
川を跨ぐケヤキの根橋


拝殿、本殿、三重塔
               見事な三重塔の彫物






2023年11月1日水曜日

丹波の今を求めて丹波の森公園と丹波国をあちこち!!!

北緯135度モニュメント
丹波森の公苑
          文政二歳(1819)の兵主神社狛犬

        日々変化する自然の< 兵庫五国は広く遠い  !>
 我家からバイパスで石倉へ出て、県道411号を北上し又坂峠を越え、夢前川沿いを北上して夢前町から中国道沿いの県道23号線を東進し福崎町へ向かう。さらに東進し八千代町の産坂峠を越え、中町へ入りさらに小野尻峠を越え丹波市山南 町へ入る。R175号から途中、県道290号へ入り丹波市柏原町へ入る。途中、休憩と気分転換で寄り道し、約3時間40分掛って柏原八幡神社駐車場へ着く。生憎、観光案内所、資料館は定休日、参道口のイチョウの紅葉はイマイチだが、何時もご挨拶するケヤキの「木の根橋」は健在であった、が落葉があり葉が”チジレ”激暑の傷が老体には堪えたのだろう。新しくなったJR石生駅を周り、前回は改装中で利用を諦めた「道の駅・おばあさんの店」へ向かう。新装後、初めての訪問なので、奮発して「唐揚げ定食」(地産の鳥だと言う)をいただく 。農産品など販売所は今風になり、穴がコソバイ。米を買をうとしたが諦めて、パンフレットを頂き、丹波の森公苑へ向かう。開園して相当なるのに足を運んで無いのは、敷居が高いだろうと考えたからと、ここを目標にしての来訪は無く、往復6時間を考え次に回ったのだろう。周囲の木々も成長して公苑の体を成してきていた。出合ったのは小さな子供連れのお母さん団体が数組芝生で楽しんでいた。子供連れには素晴らしい広場で環境だと思った。室内では地元但馬の写真家の展示会スタートの日で、一番始めにサインをしておいた。帰路は、北近畿自動車道で氷上ICまで乗り県道532号を南下。途中、瀬戸内海に流れる武庫川から日本海へ続く桜街道のサクラに思いを寄せながらパチリ。氷上町小野では小野天満神社で狛犬2対、一対は出雲(出雲型)で作られたのと、天然記念物のケヤキに出合うが、紅葉はイマイチである。あと、10日ほど欲しい。復路と同じ峠(小野尻)を越え中町へ入り、道の駅・中町で休憩とお買い物は、地酒、小芋、さつま芋を買い、一路、黒田庄の北緯135度モニュメントに向かう。何度か写真は撮ったが探すのが苦労なのと、船町蛭子神社の狛犬(昭和12年10月)を撮影。続いてJR 本黒田駅の撮影と兵主神社の狛犬2対、一対は文政二歳(1819)に、龍野ハシサキの石工が刻んだと記している。時間が遅くなったので日本へそ公園、熊野神社は次回に回し福崎、夢前、我家へ向かい帰宅は19時00分230kmの旅だった。Ⓢ atomu





ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

北条鉄道北条口駅 北条鉄道、田原駅 北条鉄道,網引駅 JR加古川線,小野町駅  新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり...