2023年12月29日金曜日

新しい歳は交通事故ゼロであること念じます。 《 若い皆さんご注意あれ!!! 》

                 安志加茂神社の干支のモニュメント
  昼間が短いので夜間に車運転が長くなり、気にかかること多くなったと感じています。それは自転車乗る人、歩く人の服装が黒いので識別が遅くなることである。これは、運転する人なら気になり注意しているはずである。自分の身を護る最低の防御は明るい衣服を着て、蛍光版を体に付けること、靴のかがとに付ける、腕や帽子にも付け、肩から掛けるタスキも有ればなお良いでしょう。懐中電灯もあればなお良いでしょう。風土記の会の皆さんには、痛いのは自分持ちだから「絶対に車と仲良ししたらアカン」と言っています。 発足から20年、大きな事故のない新しい歳を迎えてほしい。若い彼らが自転車乗る時はへルメット、蛍光ステッカー携帯はポケット終えば良いでしょう。最後に横断歩道で待つ人をお互い様の気持ちでブレーキを踏渡ってもらいましょう。17日に元気な顔を見せてください。Ⓢ atomu

2023年12月24日日曜日

現在の日本🔴のコンタクト振る人は総退陣、新しい指揮者を迎えて大海原へ !!

  何方が見て下さっているのでしょうか?気になります。80年のウロウロをしたためるか、誰にも気兼ねなく世相に対峙できる日々でありたいとは思っている。また、独り身の軽さで、今も兵庫五国と近県を駆けている。気が多くてあれもこれもと調査に出掛けるが実は結ばないが、風土記の会の案内には役に立ち、物識りの引き出しが増えるのが楽しい、ホームページをご覧くださる皆さんと、悪がはびこらない社会にして、子に孫に繋げたい。Ⓢ atomu

             高野山の宿坊・遍照光院


日本沈没するかも知れない!!! 悪が蔓延る日本国はモデル国返上?

 代議士の資金隠し・宝塚の人権無視・ダイハツの資料改ざんほか多数 !!!

< 伊和大神の天罰を受けて改心することを誓いませんか! ><伊和三山と一山古墳>

 ここ暫く、悪さした人のお話と、若い彼女の憧れの舞台で悪さされ、亡くなったんでないかと、テレビ、新聞を賑わしている。日本の舵を取る人たちが約束を守らないで、集めた金を自分の金庫に収めていた。この人たちは日々生活に困っている老人、働けない人、子供がいる一人親、低額の年金支給者などなどの生活を経験していない、エリートである。彼らは江戸時代の大名気分の様に見えてくる。彼らは自分の懐が寒くなれば年貢を割り増しして徴収すれば、懐は太るのである。悪さする輩は、多くの人を口先だけのエサで金を集めたのを、使い先不明はダメだと、襟を正すお役人が怒ってい調べている。これまで、何度も記載し報告するように注意されているのに懲りていない。一般国民なら、罪になるかも知れない事を、悪代官は、記入漏れとか忘れてたと言い訂正すればOKをもらえるのは代官(代議士)だからなのだろうか。それを見て、悪大名、悪代官の役職に付けたくないと、ささやかな手当てで夢を追い、力一杯働く若者、キャリア一杯の正義の味方の先生に期待したい。次の代官選挙に口先ばかりの代官はNOを投票し、代官から降ろしてダダの人の苦しみを味わってもらう。

 若い彼女の憧れの世界「宝塚」が日夜マスコミをにぎわしている。一般庶民がこれほど人間性に欠けた団体だったとは知るすべも無い。テレビでマイクを向けられおばちゃんの答えは「長く応援してきたので早く開演してほしい」が多く目に付くのは、おばちゃん達の夢を舞台が叶えてくれるのが「宝塚」だったのだろう。無くなった女性が悪いのだ、と取れるような言葉が端々に感じられ、

   田圃の中にある一つ山古墳
奥が花咲山手前が一山

      川向こうの高畑山 (古墳の先の微高地は揖保川堤防で流れ橋が架かる)
             三山で一番厳しい白倉山
                                            一の宮町千町分校での児童との交流の様子(1969年8月4日の書込みがある)
情けない思いで聞いていた。100年舞台、色々と舞台裏には波風は有っただろうが国民には伝わらず、花やがな舞台がすべてだったように思う。これを作ったのはマスコミも片棒を担いでいないだろうか、情報があれば取材するが、宝塚の名と天稟(てんぴん)に掛け「少しぐらいならが」記事にならなかったのかも知れない。事故防止勉強会の時に、小さな事故のうちに摘んでおけば大事故を防げると、教えられた、まさにこれに当たるではないか。幼い14歳からの女の園の生徒が偉い先生にNOが言えますか、言えないでしょう。次に思うに、演出家、ディレクタ―の声が聞こえてこないのはなでだろう。すべてのスタートは彼らでないか、彼らがNOと言っておれば防げたであろう。最後に地元マスコミの失態ではないかとも思う。入試発表の様子と着飾った姿の舞台しか取材していないではないか、眼と耳を塞いでいたのだろう。

 さて、偉そうなこと言う我は人の迷惑かけないように、少しでもお役に立ればと考え80有余年生き延びてきた。戦後間もない時代は国民みな貧しくても互いに助け合う心があった。我が家も貧しかったが明治生まれの母親が言うに「人に迷惑を掛けないこと!と、お上の言うことは間違いない」と「勉強しておけ!、使っても減らへんし、泥棒が来ても持って行けへん!」であった。母の言った「お上の言うこと!」は、すべて、我田引水で自分大事がすべてであるのと、嘘ついている様に見え信用できない。天上の母はどう言うだろう?、55年以上前に仲間と山奥の分校を訪問した。バス停から1時間以上かかる位置にある分校を最不便な学校と指定された、その内の一つ、飯盛小学校千町分校を選び出かけた。仲間の持ち合わせの特技のマジック、歌、ゲーム、16mmフイルムの映写機と女子短大の人形劇を持ち込んだ。訪問は初めてのことで苦労はあったが、村人の歓迎を受け和み、20人余の学童と2日を楽しんだ。夜の映画会にはたくさんの村人が来てくれ教室は満杯になり成況であった。

 こんな精神、心で80年生を続け、今も仲間を一番に「はりま風土記の里を歩く会」を世話し、これからも、兵庫5国を闊歩し続け、兵庫県一番の兵庫を知る集団になるよう、仲間と励みたい。Ⓢ  atomu




2023年12月23日土曜日

 境内の清掃は進んだが飾り付けまだの神社と、狛犬の産まれはどこだ !!

   正月飾りを期待したが外れ、福井県産まれかと期待したが答えは後日!
       別府天満神社狛犬【文化9(1812)年生れ】
早川神社の狛犬(福井県産?)かも!
多木化学の「赤金御殿」
             高砂神社の絵馬 

      別府の天満神社「手枕の松」
                    JR土山駅前の電飾
  師走の今日(23日)、神社の正月準備がどれだけ進んでいるだろうかと、早川神社の狛犬の制作地の検証をしようと出掛けた、ついでに東播磨の神社の準備の進みぐわいを巡使した。姫路、網干からR250 号で東へ向かうがいつも悩むのが混雑をどうかわすかである。市川の架橋手前を左へ折れると阿成である、これまでも訪ねているので、早川神社の杜は外れなく鳥居を潜り駐車する。前回の訪問で余り出合わない狛犬の石が輝いていたので再度の訪問である。あばよくば、福井産ではないかとの淡い期待での再訪であったが答えは出せない。次は、曽根天満宮である、いつも良く出来ている飾り物だが未だである。明日の日曜日に氏子総出でやるのだろうと思い先へ進む。高砂神社も落ち葉などは掃かれ綺麗であったが、飾り付けは明日からなのか見られなかったが絵馬二枚は展示していた。さらに東へ、別府の天満神社は境内は掃き清められ、車の乗り入れが気が引けたので、手水鉢を洗っておられたご婦人に挨拶した。境内に四国琴平神社の遥拝所があり、文化9年の狛犬が据えられていたのが収穫である。境内の東に多木化学所有の赤金御殿が聳えていた。今は黒ずみ風格はあるが昔とは違うように思えたが、昔に出合い感動したのは健在であった。さらに東へJR土山駅へ向かう。すでに、4時を回っていたので、古墳資料館はダメだろうから土山駅前の電飾を見ることにし、公園駐車場で待機する。5時を回ったので駅前は電飾が点灯されており、地元の人は見慣れているのだろう、止まって写真を撮る人は見ない。昼間は何度かウロウロしているのに夜になると勝手が違いカーナビの世話になり、バイパスR2号線まで誘導してもらい、勤め帰りの車で混みかげんであったが、土曜日が助け舟であった。Ⓢ atomu







2023年12月22日金曜日

 兎の大晦日(おおつごもり)まで、さいごの足搔(あが)きが続きます!

令和五年1月元旦の室津漁港
我家の正月
令和六年潤甲辰歳・暦


 大晦日までの一週間バタバタで金に羽が生え飛び出す!!!

  いよいよ卯年も終盤の大晦日が近づいて来た。昨日は「冬至」だとかでテレビは柚子湯に入る姿を放映していたが、トント歳時記にうとなってしもた思う。残り如何ほども無い人生なので大大先達が繋いでくれた行事や催しに興味を示したい。明治6年生まれの祖父は朝起きると必ず東に向かってカシワ手を打っていた。当時まだ、小中学生だったので理解してなかったが、今日太陽がすべての源であることを知り、祖父が太陽に手を合わせたのが分かった様な気がする。多くが人力で、天候がすべてを支配していた明治の初めの人、祖父は空を見上げ、雲の流れを読み、風を感じ、体験で得た今日の天気を予想し子供たちに伝えてくれた。こち(東風)やから天気が荒れ雨が降るとか、8月15日が過ぎるとオキ(沖)で泳ぐな、波にさらわれる。川のフチ(渕)にはガイ太郎(深みが有り、渦が巻いている)が居るから泳ぐな、などなど強く言って子供に注意していた。そんなこと、今の時代には通用しないかも知れない、だが、朝晩、通勤通学に空を仰ぎ雲の流れや、飛行機雲が長く尾を引いているから天気は下り坂、などで良いではないか、これ観天望気と言うらしい。通勤通学のスタートにどうだろう。

 我家には「令和六年甲辰歳家庭暦」がある。それを手にしたら辰年の我が運勢はから始まり、6年は閏年(うるう)であることや大寒、立春などの24節気、催事などを見て、我なりに元気で当り年を送れるように占うのであるが、  と月もしない内に尻割りである。これも一年のスタートの行事と思えば納得である。一区切りとして24節気は否応なしにやって来るからその時々に心新たにお祝いすれば良いではないか。幾ら思い出しお祝いできるか挑戦しよう。今年最後の墓参りは明日にし、大掃除は無しで子掃除で大晦日を迎えよう。新春の御来光は心にはあるが未発表にする。Ⓢ atomu




2023年12月21日木曜日

今年初めての冠雪を求めて県境を越えた

室津漁港の正月
         令和六年潤甲辰歳・暦
村・弥勒寺

  今日(21日)の降雪を嫌って一日早い県境越え!!
 昨日(20日)鳥取県へ出掛けた。鳥取道で北上し、帰路は戸倉峠越えで山崎町へ帰ってきた。往路に科学公園都市から見える後山山塊、の南面の積雪は見えなかったのGOサインを出した。「道の駅・宿場町平福」へ向かうが、あいにく休業日である。大原町(美作市)と鳥取県分ける峠では残雪は無いが道路は濡れ、日陰の氷結に気を付けながら走り、「道の駅・かわらまち」で休憩し、いつもの手造り弁当を探したが売り切れで、リニュアルしたレストランでエビフライ定食を頂く。寒気が南下し空は曇天で小雨が降り始め、鳥取市街へ入るのはあきらめ、雪を被った「扇ノ山」を眺めながら県道を東へ向かいR29号へ出る。今冬はじめての積雪に、よそ見しながら車はR29号が交差する八東信号へ出た。右折れしR29号を戸倉峠へ向かう。1000m近い北面する山並は積雪を抱いた鉛色の景色が展開してくる。途中、若桜鉄道の駅舎の写真を撮りながら進み「道の駅・若桜」に立ち寄り、街中の半値の”白ネギ”を2束買い、悦に入りながら戸倉峠へ向かう。落折隧道辺りでは冬
若桜鉄道丹比駅舎

の曇天で3時30分なのに暗くなりはじめ気が焦る。道路の両脇は雪が有り、来春まで根雪になる気配,高度を上げたのを体感する。新戸倉トンネル手前では表示板は零℃(0)を指し今冬初めて数字だ。新戸倉トンネルを抜け兵庫県では壱℃(1)を指していた。いよいよ本格的寒波到来を実感し、追い越す車が無いまま波賀道の駅、南波賀道の駅を横目に、今年開催予告の伊和神社の「一つ山」の看板を横目に帰路を急ぐ。Ⓢ atomu
                      新戸倉隧道の兵庫県側の 1℃を指すデジタル表示板
   新戸倉隧道前のデジタル寒暖計が指す 0℃ (鳥取県側)
     兵庫県と鳥取県境尾根(鳥取県側から)
 
                         冠雪の鳥取県東山

2023年12月14日木曜日

山陽自動車道が15日午後開通すると西日本高速道路公団発表!!!

 今日(15日)の混雑と久しく忙しく働くパートさんにお会いに出掛けよう 

  竜野西ICから西へ高速利用はほゞ無く、時間があれば仲間が教えてくれた「ギンナン」を拾ろうのに一般者が出入りする入口からと、年に数度昼飯を食いに訪れている。今回、短期間に2度訪れ、SAエリアの様子を調査した。1度目は遅い昼飯を頂きに3時過ぎにSAを訪れ、駐車場の車の無さに驚いたことと、サービスエリア人気の屋台が閉まり人けが無いことであった。サービスエリアの建物内のレストランは休業、焼き立てパンは閉まり、土産物販売はやっていたが商品の山は低く少なく、生もは無かった。食堂は開いていたので遅い昼飯の鶏唐揚げを頂いた。チケットを買い食事が終わるまで我以外の客は無く寂しい限りであった。売店も、食堂も店員は減って、開通まで休業を言い渡されたパートさんはどうしているのだろう?、生活の保障は有るのだろうか?、など心配しながら売店の主任に声掛けし、帰って来た返事は、年末の開通の混雑が心配だと返ってきた。平時でも年末年始は混雑するのに輪を掛け混むことが予想されると思ったのが11月中旬に訪れた感想である。

 第二回は12月初旬,12月初じめ当月15日午後再開通するとの発表を受け、開通を前に売店はどう変わったのかと訪れた。時間が12時30分過ぎであったので食堂は以前より多く数組が食事していたが賑やかとはいかなく街中の暇な食堂の風景であった。売店も変わらず、レストランは休業だった。声掛けた公団職員の女子はいつもと変わらなく、開通すると混みますけどと問うと、大変ですが精いっぱい努めますとの返事が返ってきた。駐車場は小型が10数台停まり前回より心持ち多く感じた。 <当日の写真が見っかないので、これでご勘弁を!>

     【法隆寺にただ一つ残る古文書の「播磨国印(はりまこくのいん)】

 ≪  今日15日午後開通の情報なので出掛けてみよう。混雑はどうか? ...........

2023年12月12日火曜日

第 4 回・吉備国の層塔を行く、【岡山市北区(本山寺・成就寺】

   吉備高原の真っただ中に聳える三重塔は”古に誘ってくれる !! 

はれの国、岡山を高らかに謳う隣国岡山県。古代吉備国は備前、備中、備後、美作国の4か国であったのが、都(大和)の指図で3ヶ国に分割され、さらに713年には備前が美作と分割された。大和にとって巨大な古墳を作る素地(技術、資材、道具)が有ったのを恐れ分割させたと言われている。分割により吉備国はどの様な抵抗をしたかは知るすべを持たない。税として納めていた鉄が分割で備前国は賄えず他国から買い納めていた、がそれも成らず鉄を収められなくなった。300mを越える巨大古墳2基擁する国は恐怖で有っただろうから、分割はしてやったりであっただろう。それから以後、どうであったかは後記に譲りシリーズの層塔を紹介しよう。

 今回は岡山市北部の本山寺と成就寺です。現在は岡山市と発表するが、旧町は美咲町と建部町であった。共に古くから人々が住み旧岡山を支えていたが、平成の大合併の悪戯が歴史ある町名を消し、時には意味をなさない町名も出現してしまった。現地の立ち話で合併は良かったですかと問うと、良くなったとの返事は頂けなかった。

 本山寺(ほんざんじ)は山号を岩間山と言い真言宗である。本尊は観世音菩薩です。住所は美咲町定盛403で、創建は(大宝元年(701))佐伯頼観(さえきのらいかん)で、始め「新山寺」と読んでいた。後に法然上人が現在の地に移し「本山寺」としたと伝えられているが、大昔のことなので、真意のほどは私には分かりません。山門前に立てば古寺を肌は感じ、寺域に誘ってくれる。花期には枝垂れ桜が白壁を越え、大きくは無い文化財の仁王門が迎えてくれる。塔頭の石垣(寺侍長屋)は城壁を思わせる高さで圧倒する。シャクナゲが軽い石段坂沿いに重要文化財の本堂まで続く。登りきると梢越しに三重塔(承応元年(1652 )が聳えて見える。左手の本堂へ参拝し、シャクナゲ並木を見ながら疎林に守られた三重塔へ向かう。拝見するには周囲の木々が少ないほうが良いが風雪、雷雨から塔を守る高木林は避雷針が登場するまで必要であった。早く成長し層塔を越える高さになる杉桧は雷から塔を守ったのである。今も多くの層塔の周りには成長の早い高木が大きく高く育ったのに出合うのである。これも、先人たちの知恵であったと思う。1300年前に国分寺を建設し七重塔を建てるようにとの詔を発し、各国に国分寺が建設された。多くが火災で消滅した記述は多いが、雷が落ちて焼失したとの記述は実に少ない。なかで但馬国分寺では雷で焼失した、との記述にヒントを得た。国分寺が姿を消した理由はたくさんあるだろうが、戦禍で、失火で、落雷で、老朽化もあるだろうか、国分寺遺跡のある市町村に問い合わせ確認しよう。他に、層塔の礎石が確認されている市町村は多いだろう、これも調査出来ればと考えている。

 浄土宗を起こした法然上人の父母が子供誕生を祈念し、本山寺へ参拝祈念して法然が誕生したのだと伝えられている歴史ある古寺である。

岩間山・本山寺シャクナゲ

重要文化財の岩間山・本山寺

1月元旦の牛窓港での(蘇民将来宝札)
日蓮宗・藤田山・成就寺

 層塔の奥に石造品と並び据えられた重要文化財の「宝篋印塔」があるが、三重塔に圧倒され、ここまでと引き返す人は多い。同じ、重要文化財でありながら大きさは圧倒的な魅力が有るのだろう。帰路は拝観を見逃した、法然上人ゆかりの池、御霊屋、などなどを見学し最後に仁王門に納まる仁王像に挨拶してバスの人になる。春秋の花時季には枝垂れサクラの下で秋にはモミジの下で弁当を広げ吉備高原の山並みを堪能すると良い。

 成就寺(じょうじゅじ)は山号を藤田山と呼び、宗派は日蓮宗である。北区建部町富沢682。  開基は天勝勝宝年間と古く、報恩大師(ほうおんだいし)によると言う。備前48ヶ寺の一つでもある。明和3年に焼失したのを40年後の文化3年再建を始め初重が組み上がり、文化5年に上棟を果たす。19世紀初頭を代表する三重塔でもあるらしい。平成26年(2014)に岡山県文化財指定さる。寺域は段丘上の上部にあるのでR484を西進していると建部小学校信号、さらに進むと正面に三重塔が見え、道なりに進むと文化財指定の仁王像が収まる仁王門そばを終点まで行くと駐車場がある。石段を上がり振り返ると建部村を俯瞰する素晴らしい高台に立つ三重塔である。一見質素に見え現代制作かと思いきや220年前に建てられ、今に健在である。建設当時どんな周囲だったのか知りたい気分である。今も周囲に高木が無いことが心配である。Ⓢ  atomu







  


2023年12月8日金曜日

「はりま風土記の里を歩く会」20周年記念式典のお知らせと・1月新年会の参加募集!

  盛大にささやかに20周年記念式典の参加と協力のお願い!

 はりま風土記の里を歩く会も来年で20歳です。ささやかですが二十歳のお祝いをやる計画を考えました。生まれたのは平成16年4月20日にJR網干駅に集まり、第一回例会を開催したので、それに近い2024年4月17日(水)を考えてます。網干でスタートしたので、開場も山陽電車、網干駅から近くで開催したいと考えました。駅からシャトルバスで会場まで?

 そこで、4月17日(水)は出席する計画をしておいてください。そして、ささやかですが準備が要ります。皆で知恵を出し合い、ささやかですが和気あいあいで盛大なのをやりたいので、来年に入ると皆さんがグループ入り担当を決め、当日に向け準備をお願いしたい。(気軽に参加ください!)。

 次いで、20年の足跡のささやかな「冊子」をパソコンで作りたいので、私は少しぐらいはパソコンはOKの人募ります。友人もOKですよ。原稿は参加した場所の想い出、歩く会と共に20年、20年を想う、などなどなんでもOKです。また、例会に参加した時の短歌などもOKです。あそこが良かった、又行きたい、などの短文でもOK です。ページはB5サイズで50頁ぐらいを考えてます。会員に一文づついただければ満杯なので、御協力ください。芸術的なのを求めません、読んだ人の参考になるルートとか、おもろいグループだと思っていただければ本望でしょう。字数は600字~800字位でOK です。短文でもOKです。作品が多すぎて嬉しい悲鳴を上げたいのでヨロシクお願いします。そうそう、10年、15年前の思い出もOKですよ。写真を多く読みやすい冊子を目指しています

 1月17日(水)の新年会の席で詳細をお話いたします。

伊丹歴史資料館の正月飾り・展示品
播磨一之宮伊和神社の元旦の飾り

@ 新宴会の参加募集は12月11日からです早めに申込ください。ホームページの詳細参考されますように。    Ⓢ atomu

   川西市のマンホール蓋
山海の珍味並ぶ「佐用都比売神社正月元旦お供えの品々」

2023年12月6日水曜日

 辰年の御来光は何処で迎えようか!! 天変地異が起きないのを願って!

備前国分寺元旦の風景
朝焼けの鬼ノ城の砦
鬼ノ城から日の出前の街の灯り
鬼ノ城からの御来光



 姫路から方位110度は工業地帯の明かりが射し,「御来光」は眩しいかも!

 辰年のご来光は何処で拝しようかと師走になったので考え始め、スタートして20年が過すた。駅舎で寝た仲間は去り、今は一人でご来光地を探し早朝から出かけている。青春18キップで31日から出掛け、迎春の準備を終えた街の飾り付け、明日の参拝客を迎える準備に忙しくする神社の様子など平時では出合わない姿を見て回った。椰子の実が流れ着く渥美半島先端からと、生きこんだが寒波と砂嵐吹く強風で姿の良い太陽に出合えなかった。元旦の伊勢湾を渡り二見ヶ浦と伊勢神宮参拝を目論んだが強風で船が欠航するとの情報が入り、列車時刻を調べたりしていたら、船の第一便は伊勢へ向かうことになり一応安堵する。伊勢へ向かう地元の人達ちは華やぎは無く、船内の飾り付けが正月を演出していた。途中、三島由紀夫の小説「潮騒」に出る「神島」を横目に伊勢港に入る。神島の正月神事を見たいと調べたが島民の不足で今年は中止で、今後も存続が危ぶまれていると言う。太陽を模したワッパを参加者が竹竿で持ち上げ、太陽が沈まないように願う島民の神事らしい。二見ヶ浦で太陽に出合えなかったが寒さに耐えながら待つ参拝者の様子や白装束に袈裟を駆け数珠を持つ心から参拝する人達にも拝せ、さすが二見ヶ浦だと恐れ入ったしだいである。寒いので早々に伊勢神宮内宮へ向かう。ここもさすがだ、朝の寒気を気にしながらであろうが整然と拝殿前へ続く長い列を見て、街中もこうあれば! と仲間に語ったのを覚えている。南は四国足摺岬、室戸岬へ、九州は宗像神宮、都井岬ほか、南北部は西国33所「那智の滝」で北部は冬気候で足を運んでいない。元旦の御来光は帰宅後プリントして、正月の歳時記として年始の挨拶状とし発送している。

 御来光をダシに各地の歳時記に出合いたいと出かけていた。安い宿舎で心づくしの屠蘇をいただき、その地の正月を体験した。昔風の正月は消えつつあるが、その土地で伝えられた訳(理由)が有るだろう、注連縄や正月飾り、一年の初の日に精いっぱいのご馳走で祝っただろう。今は飽食の時代だと言う、2050年には人口が96億人になり食料不足が叫ばれているのに、日本の自給率が30%台では即不足して国内の弱者が困窮するのは明白である。政府、行政は古くから察知しながら手立てせず、これまでにも色んな事件が起きた、コメ、小麦、バター、牛乳、卵、などなどすべて外国の飼料を当てにしてのことである。現在、耕作放棄地が全国いたる所にある、手を付けず数年放棄すると作物は出来なくなるらしい。どうゆう天変地異が起きても国民の生命は守れる手立てをたて準備するのが政府、行政の仕事ではないか。平時の今も地球温暖化で、今も地球各地で食料不足で困っている人がおり、戦禍で民間人が怪我し食料不足で苦しんでいるのは地球人すべての責任だと思っている。政府は米が豊作だと減反するように指導する。余った米は貧国へ援助で良いではないか、心を贈れば通じると信じている、何千億円の援助なくとも心こもった現物の米を贈ればいいではないか。農協のお偉方は政府の方でなく組合員や国民を味方に交渉して、せめてヨーロッパ並みの自給率にしようではないか。Ⓢ atomu




2023年12月3日日曜日

atomuさんの師走の奈良明日香の走りと新聞の辰年に期待する!!!

  短く想えた卯年も後一か月、変わらぬ来辰年になりますように!!

 最近新聞を隅から隅まで目を通すようになった。何ぜなら外との接触が極端に減ったのをカバーする手立ての一つがこれしか見つからないのである。時間の制約が無いので気ままに一人で車を駆け、シーズンを探したり、未だ出会ってない土地、地域へと向かうから、独り言が幅を利かし、これから出会う何かを思いながらの対話である。兵庫五国はたくさん出掛けたが、四季を通じての出合は少ない。派手なカラーの秋、日々姿を変える芽吹きの春、カゲロウ発つ盛夏などなどに出合う人が、五国の達人だと言えるだろう。ハイキングで山に向かう後輩に日々変わる春夏秋冬に登って初めてその山を知るのだと言うが我ができたとは言っていない。日々姿を変える自然に身を置く農山村の人達の知恵の詰まった言葉の重さはここに有るのだと常ずね思っている。来辰年も(令和六年)出来るだけ正確に装飾の無い記録を皆に提供し、出会いの面白さやしんどさを知っていただく挑戦の糧にし、知恵を磨いてほしいと考えている。古代の人々は大きな石を移動するのに知識だけでは動かせない知恵を働かせ、播磨から奈良葛城までも運んでいる。              

 上記した地方新聞の経営はどうだろう、購読者が減り、これまでの方針では先細りと見て新しい、あの手この手を考えている様だが成果はどうだろう。我は兵庫五国を駆けているので各地方のニュースが欲しい。結果報告で無い、これからの歳時記の行事、催しが分かれば遠くとも駆けるだろう。西播磨以外の他の四国がぜひ欲しい。後追いではニュースではない。これからどうなるか!、が出来るのが地方紙の強みではないか考えていただきたい。次いで、折込広告の減少で販売店の経営も苦しいかも知れないが、それ以上に、本体がぐらついたら地元を気に掛ける読者に反する。最近、とみに気になる広告が、美容と健康食品、第三種医薬品の多さである。いかにも効能があるかのような内容が目について仕方ない。痛さ、綺麗になる、これは完治すると取れる文面で高い金額を設定している。これらが、新聞全紙の下段の半分近くがこれらが占めている。ましてや、初回は半額で効果が無ければ料金は頂きません、ともある。使用者が良かったならバンザイだが、いかほどの人が効果を認めたかも調査するのも公共性の高い新聞の役目であり使命だとも思っている。厚生労働省のジーメンも活躍し、悪は抹消してほしい。

 当たり年である辰年、健康で迎え健やかな一年を送りたいとは思うがこれ人生、神のみが知るのだろうが、神がお呼びの選択に入れない方法はあるのではないか。ここに至った経過は致し方ないので、与え残った一日を力一杯生きた昨日であったナ !……を積み重ねたいので、平凡であるが健康を維持しながら、周囲の皆とこれまでと変わらない普通の活動しようといま考えている。30数年世話になり仲良しの奈良高取の友人宅にお邪魔し、多くをお喋りした。姫路では吐けないことも言え、何度も言われたことは”早く足の痛いのを医者へ行って治すこと” を強く申していただき心に刺さった。さて、早く行動に移せるだろうか? 

朝明けの明日香村(近鉄飛鳥駅から)
金剛山葛城山の朝明け
キトラ古墳展示資料館
               Ⓢ atomu
  <2023(令和5)年師走2日,3日の奈良県・明日香、高取の早朝の様子です>  



         



2023年12月1日金曜日

 卯年の足跡 < はりま風土記の里を歩く会 ><ATOMU含む>11月30日まで!!!

 コロナの残り香と激暑で外出はままならなかった仲間も多かったと聞いている。負けないで参加を続けられた人も多かったが、総体的に参加者が少なくバスの料金設定に苦慮したことは否めない事実で、”安く”が当会のスタートからのステータスでもある。ここ1年余りの間にすべてが値上がりしたがバス料金はアップしなかった。仮に、30人参加なら何とかなるだろうとの計算が外れ、参加者が25名ならもちろん赤字、原因はコロナと猛暑で2割以上の参加者減だと見た。コロナが落ち着き始めた矢先にインフルエンザが夏に発生するなど秋に参加者は回復するだろうの予想が外れ、今も続いている。此の赤字は少しずつ蓄えてきた参加費500円(資料、調査、お礼)の残りで支払った。来年4月に20周年の集いを計画しているが蓄えが少なく細やかな会になりそうである。

日岡神社
佐用町、マムシ神社(厄神さん)

美作国愛の村・納涼会

但馬・牧場公園

2023.1.1揖保川畔から御来光


今年のシンボル兎たつの市神戸神社

   

      簡単な今年の写真の一部です。



  <師走です、今晩から奈良高取へ出かけ、師走の奈良を散策です。帰ったら報告が出来ればいいのですが!>   atomu


ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

北条鉄道北条口駅 北条鉄道、田原駅 北条鉄道,網引駅 JR加古川線,小野町駅  新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり...