2023年6月28日水曜日

 ”岡山県の層塔を歩く” シリーズNO1スタートです!!

  古くには岡山は「吉備国」一国であった。大国で力の大きいのを都が恐れ分割させ備前、備中、備後と三分国させた。その後、713年さらに備前北部を美作国に分割させられ四ヶ国となった。産鉄などで力を得た吉備国も四分割で備前国などは都へ「鉄」の税を納められなくなり他の産物へと変更している。それを見て都は ”ほくそ笑む”だことでしょう。中世から江戸末期まで鉄の生産が出雲、伯耆へと移り旧吉備国の力は更に弱まってしまった。 そのような歴史ある現岡山県の三重塔(五重塔)の数が全国一番と多く15基、多宝塔4基が空を突いている。このシリーズは現地へ足を運ぶ「旅」で対面していただく参考になればとの

<本蓮寺>塔の向こうは牛窓港
              餘慶寺>とサクラ
思いから詳細は簡略しています。

 第一回は瀬戸内市邑久町の上寺山(うえでらさん)餘慶寺と牛窓町の経王山(けいおうさん)本蓮寺を案内しましょう。 

 餘慶寺は歴史も古く天平勝宝元年(749)創建を伝え、吉備で多くの寺院を開基したと伝える報恩大師が創建したと言う。  吉井川の左岸に位置し、瀬戸内市の西端の小丘上に有る天台宗寺院である。古くには遠浅に浮かぶ小島であったのでしょうか、住所も「北島」とある事から邑久町の北に浮かぶ小島だったのでしょう。現在6ッの塔頭が残る今も隆盛と思える寺域である。また、一画に豊原北島神社もあり神仏習合も今に伝えている。時季ごとの催事も行われ参拝者も多いし、文化財も本堂始め仏像、三重塔、梵鐘、そのた多数が境内で拝見できる。花の寺でもあり、シーズンには、サクラ、ハス、モミジ、新緑が迎えてくれる。 足は:車ならブルーハイウエーで、列車ならJR赤穂線西大寺駅下車が良いでしょう。

 法華宗派である”本蓮寺”へはブルーハイウエー邑久ICで降り、牛窓方面へ向かう。野菜畑が続く道路を日本のエーゲ海と持てはやされたバブル期は終わり、落ち着いた観光の港町へと衣替えである。昔の賑わいは無いが、夕日が美しい港町と、パンフレットはPRしている。昔を知る若者は正月の初日の出を拝すべく前島へ渡り民宿で年越しの乾杯である。女性は料理の数が多くて食べきれないので、持ち帰りたい、がパックが無く残念至極だと言う! 本蓮寺は牛窓へ入って左へ10分程で丘上の三重塔が見え、旧道へ入って直ぐに寺域への階段がある。 さすが、外国使節を迎える場所に相応しい「南憮妙法蓮崋経」の題目が刻まれた大きな石碑が階段下で迎えてくれた。山門を潜り境内の左手に朝鮮通信使を迎えた客殿が、右の階段を上がり海の見える境内の中門、本堂,番神堂が国重要文化財、三重塔は県文化財に指定されて広くない境内は賑やかだ。その他小堂、唐子踊り,など話題豊富な寺域を探索し、御いとましたら潮騒と古い小さな町並みを散策されることをお勧めしよう。Ⓢ   atomu










2023年6月26日月曜日

    東播磨平野の村人を救った! 今里伝兵衛の近津用水を歩く!!》
 
 大河の無い播磨町へ農業用水を加古川から取水し、水不足で悩む村民の願いを叶えようと水路の建設を始め、約14kmを藩主に命を預け完成させたのが新井用水(しんゆようすい)です。日岡山西の大堰からすでに五ヶ井用水が取水していたが分水しての取水であった。JR加古川線日岡駅下車すると駅前に新設なった水路が迎えてくれる。日岡神社に参拝し、ゴールの古宮大池への無事故と到着をお願いしスタートである。
 播磨町へは勾配が緩く水路の位置決定に苦労したようです。スタートは日岡丘陵の裾野を東へは勾配は取れたでしょうが岩盤で苦労したらしい。聯隊橋の先で水路は南下するが、農業用水路にしては水面が低いのに気付く、高低差を取るための知恵なのでしょう。加古川バイパス潜り次いでJR線路を跨ぐと野口町坂元で「賀古の駅家」に関係する遺跡調査の説明会があった跡は住宅地になり当時のおも影は無く、記念碑でも建ててほしいものだ。次いで西国街道とクロスしたので教信寺さんのサクラの下で昼食。”教信上人”が庵を結び馬ヶ家池を築造した様子は『今昔物語』にあり、上人は貞観八年(866)に亡くなっている。
 境内を散策後R2を越え、駅家(うまや)が有った名残りの名の「馬ヶ池(まやがいけ)」が昔と比べ池が小さくなったのでは!……と思いながら大歳神社で駅家の名残りだという大石が小さい境内に散見する。車に気を付けながらさらに南下し中部中学校の標高は29.5mでコースで最高地点だと地理院地図は示す。学校そばの「峠池」は高さを利用した水量調節機能を持たせ、標高が9m前後を水路は東へ向かい、水路に落ちれば上がれないほどの深さが伸びる。夜は街灯が無いので注意がいるでしょうが、街中の水路はウオーキングする人に出会う。    今回は平岡町二俣信号でJR 東加古川駅へ向かい今日の歩きを終え、次回は田圃や畑が残るコースに喜瀬川をサイホンで越す装置を見てゴールの古宮大池を目指そう。Ⓢ atomu


                                  < 水路を跨ぐJR鉄橋 >   ”桃太郎が渡る”
              分配機能を持つ「峠池」

2023年6月24日土曜日

    年金生活者は” 物価高と公共料金のアップはストップしてほしい!!

 昨年末から単価の上がった品物は如何ほどのあるのだろうか? それに引き換え30余年勤めて現在支給されている年金額のアップは¥1000ーに満たない。ので、毎月赤字が続いている、解決は外出して金を使わない事であるが、出掛けないと老化を進め医者への支払いが増え、懐にはマイナス結果を呼ぶと考えている。現在は医者通いが少しずつ増えて来ているが以前と変わらず、マイカーでの外出が多く県内外を駆けている。が、ガソリン代アップが懐を直撃している。が回数を減らすとストレスを溜めて体重増加を呼ぶなどが発生する。現在は、野外で出会うお人とのお喋りで知恵を授かるのが、健康を維持する一番の方策だと信じている。

 政府の偉いさんと大企業経営者にお尋ねしたい、ガソリン代が高騰したことで生活必需品の値上げが続き今後もアップすると言う。企業は燃料代高騰で商品の値上げを実行したのを、仮にガソリンが高騰前の値段に下がったら各商品の値段を下げるのでしょうか、お答えを頂きたい。一方、政府の金の使い方に物申したい、将来の日本を担う若者に投資は必要でしょう。平等であるがために億万長者や月給何千万の経営者の子息にも支給するのはどうだろう。派遣社員やパートで働く家庭への支給は子供の学費に回るでしょう。豊かな生活する家庭は国支給と親からの援助のダブル支給になり、より差が出来ないかとより心配してる。ので支給の対象も一考してほしいと思っているのは私だけでしょうか。

 高齢者にも上記と同じことがいえるので、何の心配もない人たちが対策を決定するので低所得の人を分かっていないと思うので、低額支給額の人にも政府の気遣いがいると思っている。

 最近、とみに幼少期の殺害という痛ましい事件と小中高生の自殺のニュースを目にすことが多いのではないか。いろいろケースが有るだろうが我が子に手を掛ける非道はあつては成らないし、我が子の些細な変化を読み取って対話し、何も言わない親が良い親で無いことも、時には怖い親であってほしいと思う。それと、メル友も良いでしょうが、親一人で悩まないで公共の相談所へ足を運んで解決の糸口をつかんだらどうだろう。

  事故後に行政が記者会見する姿に接し”いつも言い訳”にしか聞こえない情けない姿を見て、この人たちに子供たちを任して良いんだろうかと心配になる、のは私だけだろうか?  Ⓢ        atomu   

         京都国立博物館玄関の ”考える人像”
  

  






2023年6月23日金曜日

    梅雨の間隙ぬって京丹波へ < はりま風土記の里を歩く会 >例会報告

 隣国で未訪問は丹波国分寺跡を残すだけとなったので、万を喫して2023年6月21日に梅雨時季に訪れた。播磨国府から京への裏街道として多くの旅人が往来したし、兵庫県はR 372を”デカンショ街道”と呼んで篠山への街道だとPRしている。曇り空で何時パラパラ来てもおかしくない低い雲であったが参加30人で一路京都府との境、天引峠を目指す。播但道中国道と繋ぎ滝野社ICで降り、R372で丹波篠山市内を目指す。篠山市中ほどで左手に丹波アルプスの小金井嶽、御嶽、西嶽が見え始めR173とクロスする交差点の県指定の天然記念物のオオスギに、ご合さつとトイレ休憩なり。しばらく走って天引峠を越え、京都府へ踏み入れた初めの訪問先は禅宗の普済寺の重要文化財の観音堂を見て苔の

  薮田神社木製狛犬            


境内を散策、次いで薮田神社参拝と鞘堂に納められた本堂の脇に彩色が残る狛犬を発見し大興奮。年代は不詳だが古い形態で据えられている。大イチョウとムクノキを見上げ大きさを体験する。

   出雲大神宮本殿前の木製狛犬秋には周囲を圧倒する黄葉を見せてくれるのでしょう。次いで、光秀の首塚のある谷性寺で昼食兼ねてアジサイの満開を堪能する。光秀の家紋キキョウも間もなく満開を迎える様子であった。NHKの放送を当て込んで寺の入口のイベント会場はコロナで全滅であったと24日からの開園に勤しむ村人が申すのを聞き、真面目にやって損をした処がそこかしこに在る様に思えた。

 午後からは出雲大神宮へ参拝です。さすが”出雲さん”平日の水曜日なのに参拝者が途切れなく、何をお願いするのでしょうね。ここでも拝殿前の彩色残る狛犬を写真に撮り嬉しい気分だが、年代不詳が不満あり。今回のイベントである丹波国分寺跡は田んぼの中にあり、各所に説明版が設置されおり、境内の大きさは200m四方あったらしく、他の国分寺に見劣りしない大きさであったようだ。最後に向かうは女性群のお楽しみである道の駅でのお買い物も出来、一路姫路へ向かう。梅雨の合間そのものであったが雨は無く我が”はりま風土記を歩く会”の善男善女の参加の賜物だったと言っておこう。Ⓢ  atomu



「氷ノ山、後山、那岐山国定公園」の顛末

                    佐用の大撫山から後山山塊の冠雪
    中国山地の高峰が高度を競う「氷ノ山、後山、那岐山国定公園」を案内!!

 兵庫県、岡山県、鳥取県に跨る「氷ノ山、後山、那岐山国定公園」の山脈は本州の背骨である、分水嶺を成し、日本海と瀬戸内海へ雨水を分け流している。山麓の集落は山菜や自然一杯の山の恵みを収穫し、生活の糧を得る身近な山地だったのです。(今は、当時の繁栄は見えない、松茸を始めキノコ類、春秋の山菜は全滅か大減少)

 我らが山、「氷ノ山」は瀬戸内海寄りで生活している若者には早くから冠雪した姿は憧れであり、近寄りがたい存在であった。日本人による高峰マナスル登頂が戦後の登山ブームに火を付けた。これには敗戦で打ちひしがれた若者に勇気と希望を持たせ、戦後復興の担い手になって欲しいとの国の施策が有ったらしい。勉学では湯川秀樹の日本人初のノーべル賞、スポーツでは水泳のフジヤマのトビウオ古橋広之進が次々と世界新記録樹立などが先行していた。それに続くものに世界の高峰エベレスト(8886m)が選ばれた。しかし、すでに英国隊が挑戦を始めており、仕切り直した結果8000m峰で未踏のマナスルが選ばれ偵察隊が現地へ向かった。1次、2次隊を送るが悪天などで未踏に終わり中止の話しも出たが第四次隊で登頂できなければ中止する約束を取り付け、総隊長に牧有恒を据え後に引けない決死の覚悟で再挑戦し登頂を果たした。山頂で日本、ネパール、日本山岳会旗を掲げる姿に全国民が感動し、日本の未来に明るさが見えたと思った事でしょう。敗戦で焦土と化した国土を日本人の勤勉さで経済発展を遂げ始め、少し懐に余裕が出来たので登山ブームが勃発したのです。

 我らも、それに乗せられ、初めて登ったのが雪彦山であった。それから休日ごとに近在の山に登り、大きく裾野を広げた兵庫県の雄「氷ノ山」の遠望を眺め、登りたいの思いが募り一泊二日の山旅を果たした。当時は、戦前に学生たちが開拓し、残してくれたコースガイドが有った、それは素人の若者にはバイブルであった。その内に、地元で登山者やスキーヤ-を受け入れる民宿が開設され、語らう若者も地元も共に恩恵を受けたと思うが、長くは続かなかった。この時代はバス、汽車も潤沢に村町を繋いでいたが、庶民にマイカーが手軽に手に入るようになるとバス、汽車の本数が減りそれに合わせて村の人口が減り始めた。今になって慌てて対策なんて遅いし馬鹿げてないだろうか。犠牲は高齢者の村人と通学する学生たちばかりでないか。 

 では、現在はどうだろう、憧れだったハチ高原への観光客、登山者、スキーヤーは右肩上がりに増えなく下降気味である。外野席から見て物申すと、行政の施策の無さと指導の無さが大きな原因の一つだと思っている。国、県、町、個人が大風呂敷を広げ五年後には、10年後にはこんな「ハチ高原」にするのだ、成るのだと言い放ち、村人と共に希望と夢に向かう一貫した指導が成されなかったのが現在の姿ではないだろうか。

 江戸時代以降の日本産鉄の中心の備後、備中、備前、美作、播磨の雨水は瀬戸内海へ、但馬、因幡、伯耆、出雲は日本海へ恵みと併せ悪水をも流した。この地方は江戸時代末期には日本の鉄生産の8割を生産し、一大コンビナートであった。が、明治になりキューポラ式製鉄法が輸入され急激に衰退した。山内で働いていた彼らの末路はどうだったのだろう。木炭や砂鉄採取で荒れた山は牧場や木炭生産へと転換を図ったが一部を除き長くは続かなかった。今も100年以上経った今もその影は大きく、姫路市の人口と匹敵する50万余人しかいない小県もある。

 60年余に渡り「兵庫五国と近接八国を巡って」いるが豪雪で村ごと町へ降りたり、交通手段がなく住めないと消えた村を沢山見てきた。足が無くとも住み慣れた土地を終の棲家とする老夫婦で頑張っておられる姿にも出会った。その姿には気高いオーラ―をも感じ、再度の再会を約してしまったりもした。戦後の五国や中国山地でいかほどの集落が消え、自然に帰ったのだろう。頑張っておられる老夫婦に行政が手を差し伸べ、その土地での長きに渉る貢献に行政が感謝状を渡したら喜ぶと思う、どうだろう。Ⓢ  atomu 





2023年6月19日月曜日

「新戸倉隧道は」3代目 (巷の話し、R2号とR9号を繋ぐからR29号だ!)

  「新戸倉隧道」は3代目トンネルです!!
        2代目戸倉隧道(鳥取県側)<最近シャッターが付けられ中が覗けなくなった>

 現在の「新戸倉トンネル」1995年に標高731mの位置を1730m抜いて兵庫県から鳥取県を繋いでいる。新トンネルが開通したので随分と冬季の通行が楽になったのと、トンネルに至るまでの多くのヶ所で散水設備が施され凍結が緩和された。現在も多くのヶ所で拡幅、橋の架け替えが進んでいる。現在、無料の鳥取自動車道が開通したので自動車の多くがそちらを走りだした。その為か、R29を通るたびに貸切り状態の通行量を何度も体験しながら道路沿いの店舗の懐を心配し、ハンドルを握っている。

 2代目の「戸倉隧道」は標高742mの高さを長さ891mを抜いて1955年開通した。丁度、モータリゼーションが始まったころで、鳥取梨の二十世紀狩りバスやマイカーがR29を渋滞させ、音水湖が満々と水を張った姿も当時は珍しかった。併せて、戸倉スキー場が開設され若者で賑わった時期でもあった。最後だった頃の音水森林軌道にも出合っている。
 初代隧道は、戦況が好転しない昭和17年に姫路第十師団から鳥取聯隊へ物資運搬用の軍用隧道として開削が始まり、昭和19年に約433mを貫通したが完成を見ないまま終戦を迎え放棄されている。このようにトンネルを3本掘った兵庫県内の峠越えは見当たらない。2本を掘った峠は県内で見られる。
 最後に、国道29(R 29)線と呼ぶようになった理由を、巷のうわさとして記しておこう。国道2号線と国道9号線を繋いでいるので9を併せ29号としたのだと言う。ⓢ atomu
                                

 


2023年6月18日日曜日

    休日に”又坂峠、百町峠、釜坂峠、山伏峠”を越えた!!
  
 6月17日(土)洗濯を干し終え、NHKテレビで県内の情報を仕入れ車を走らせたのはAM11時00分を回っていた。R2号を西へ走るか、バイパスで東に行くか?……… と考えながらR2号に出て、下したのはバイパスを北へである。途中で、紆余曲折があり、寺村を直進して”弥勒寺”へ顔を出し、峠村(前之庄)へと思ったが、又坂峠を越え夢前川沿いを北上はじめた。姫路市内で安売りのガソリンスタンドで、 ¥2000.-を支払い満タンにし、次は、昼が近いのでJA 経営の野菜直販店で昼弁を仕入れる。
 次いで、花の寺だと言う「金剛城寺」へ向かうことにした。今年2度目だが、何時もついでに訪れているので今回はアジサイが見頃だろうと思いながらは初めてである。年間を通して野草などが咲くが圧倒されるように咲く花はなく、清楚な色の花が境内のあちこちで咲いている。
 今は、ホタルブクロ2種、ツツジ、アジサイ、名の知れない花が数種咲いてたが、春咲きが終えた過渡期なのでしょうが、奥方に誘われご夫婦で訪れている数組に出会った。
 さて、福崎、市川町へ出るのに西国33所巡礼道である県道407号の悪路の百町峠を久しぶりに越えた。夏草か繁茂し地元の軽トラが通るぐらいでしょうか。ロングコースの27番札所、書写山円教寺から28番丹後の成相寺まで向かう
          人形峠石棺仏
                     瀬崎神社狛犬
巡礼者が越えた小さな峠道で、吾輩も歩き遍路で越えて頂上の地蔵尊に手を合わているので、久しぶりの出会いに挨拶を交わした。
 峠を越えると市川町に入り「瀬加谷」へ向かう。岡部川を上流へ走り「上瀬加」から釜坂峠へのヘアーピンカーブの県道145号を上り、加西市若井へ出る。峠で林道笠形山線とクロスし開設時に林道を走ったのを思い出した。林道の通行止めゲートを見て、行政の計画の無さと金の無駄使いを見た思いである。
 若井の集落で「瀬崎神社」の狛犬を見ようと向かったが境内に姿が無い。播磨に狛犬が無い神社は少なく境内を巡るが見つからない、”ひょっと”すると、と思い幣殿から本殿を覗くと大型の「狛犬」の出現にビックリである。幣殿のドアが開いたので写真に撮り、再度の訪問でOK をもらい近くで撮影したい。県道145号を東へ進み、別所西信号を南下し、古坂から玉丘史蹟公園と久しく足を運び ”峠であって峠でない”「山伏峠」の「石棺石仏」二体と面会したが、今も健在であった。
 帰路は久しく通っていない県道81号で姫路市山田町多田の「諏訪神社」へ向かう。古墳が御神体で、<多田廃寺>の塔心礎はじめ礎石を境内で散見す。最後に大正12年建立の大阪型狛犬を撮影し終え、{銀の馬車道}を駆け一路、家路を急ぐ。Ⓢ atomu      参考書籍『播磨の峠物語』












2023年6月15日木曜日



   NO 2 日本の三重塔で最高地点の塔が兵庫但馬にあ    る!!

  兵庫五国には十二基の三重塔が有り、五国くまなく配され空を突いている。初回に記したがに山陰地方には層塔は適さないので、鳥取に無く、島根に1基あるだけだと言った。兵庫県の但馬の妙見山上の名草神社境内に重要文化財の三重塔がある。現在は妙見山日光院が管理し、古くには式内社であった。寺名は石原山帝釈寺で神仏習合では山麓の石原村には10か寺の塔頭があっが、中世の戦乱で寺院などは焼失し衰退した。江戸時代になり将軍家光に朱印(30石)を賜り妙見社の基盤が整った。

 寛文13年(1663)出雲大社から本社改築用の杉材を求めてきたので、12本の杉材の提供と引換えに大社で廃棄する予定の三重塔を譲渡されることとなった。現地でばらし船に積まれ津居山港まで運ばれ標高800mもの山上に上ったのであが、どれぐらいの時間と人力が要ったのだろう。資料によれば寛文5年(1665)1月解体を始め、船で載せられ津居山港に着け陸を人力で5月に妙見山に運び上げられている。建立は当年の9月に竣工をしている。此の塔は大永7年(1527)に尼子経久が寄進したことが棟札で判明している。

 建立された妙見山の杉は母樹として各地へ苗木として送られ植林され、緑の保全に貢献している。移設以来落雷に合わず永らえているのは塔を囲む大樹の杉に他にない。がであるが豪雪による天然記念物指定のオオスギが塔側に倒れ込み、屋根部分を壊したが、昭和62年10月解体修理を終え元の姿を回復した。平成22年6月に本殿、拝殿も重要文化財の指定と解体修理を終え三重塔と併せ名草神社の名を護り発している。

 雪害で三重塔が傷を負い傷んでいる時の秋、お見舞い兼ねて妙見山へ登山した。傷は大きく一層、二層共に見るに忍びない気持ちと、倒壊した大杉が切り刻まれていた。背丈を悠に超える太さであるのと、どの様にして杉に上ったかは忘れたが、記念に写真を撮ったのは覚えている。石原から日光院までは集落中の上り道で寺院から上は民家もまばらになり神社まで注意して運転し、神社前の広場に車止め参道を登ろう。まず迎えてくれるのが三重塔で、最上部の軒を支える四匹の猿、一層目にそれぞれにポーズする力士が軒を支えている。本殿に参拝した帰路は前進して眺望の素晴らしい林道を進みR9へ出ると良い。もとに返して道の駅、北近畿無料自動車道で和田山も良いだろう。Ⓢ


  


2023年6月13日火曜日

    出雲型狛犬が生野(真弓)峠を越えたか? 市川を遡上したのかも!!

1000kgの重さの狛犬が播磨中央山地(多々良木・猪篠)に出雲狛犬が鎮座す! 

 市川の最上流は姫路港から約55km遡上した青倉山が源流で、黒川ダム湖の中にある。その支流の猪篠川上流の山腹に民家が点在する猪篠集落に八幡神社がある。現在、何軒が生活されているのだろうか?、 同僚の主婦がここの出身で生家が空き家なので処分を行政にお願いしたと、聞いている。後背は標高973mの白岩山が但馬生野と尾根で接する集落の八幡神社の狛犬が出雲の来待石(きまちいし)で作られた「出雲型」狛犬が据えられている。なぜ出雲で作られた狛犬がここに有り、どの様に運ばれたかを知るすべは今は無い、が今しばらく時間を頂きお知らせ出来ればと思っている。五国の幾千もの狛犬が据わるのにも気にかけている。

 出雲で制作された狛犬は北前船に乗せられ遠く東北、北海道まで旅をしている。猪篠の狛犬も船に乗せられ円山川河口の田結で降ろされ、高瀬舟で行けるところまで運ばれ、馬力か人力で運ばれ生野峠を越えたかも知れない。 一方、猪篠川は寺前で市川と分流して真弓峠(生野峠)へ北上し猪篠部落へ向かう。北海道で仕入れた海産物は西廻りの北前船で大坂へ運ばれ、途中、瀬戸内海の飾磨湊で狛犬は降ろされ高瀬舟に乗せ換えられ市川町屋形

2023年6月12日月曜日

    兵庫五国の層塔をシリーズで紹介しよう !  初回は斑鳩寺です

 県内にには三重塔と多宝塔が各十二基、それぞれに空を突いている。平安時代建立の法華山一乗寺の国宝三重塔は別格として、重要文化財五基、多宝塔では重要文化財四基が各地の誇りとして据わる。他の層塔も県や市の指定を受け保護され守られている。

 県内に15基の三重塔(五重塔1基)がある隣県の岡山県に次いで兵庫県は12基で全国2位の多さを誇る。因みに、広島県は5基、山口県は1基で、山陰地方の島根県1基、鳥取県は0基なのである。

 なぜ、岡山、兵庫県が多いのかの研究はなされてなくて、提示は出来ないが岡山の知人は宮大工が岡山に多かったのだと言う、がそうだろうか。島根、鳥取県に無いのもまた不思議である。瀬戸内海側と日本海側を対比すると岡山県は「晴れの国」として売り出し、鳥取、島根は「冬には弁当忘れても傘忘れるな」の諺があるほど雪が降り、落雷がある。一方、岡山は雨が少なく塩田が広がったし、兵庫県も江戸時代には赤穂の塩が江戸ではもてはやされたブランドであった。

 明治時代初めまでは避雷針は無かっただろうからどこよりも高い層塔は落雷の標的になっただろう。それと、豪雪による雪害で層塔は倒壊したと考えた。これらの二件は瀬戸内ではまず無い。瀬戸内側でも落雷で焼失したが

               斑鳩寺の層塔とクスノキ大樹

再建できたのは旦那衆が多かったのだろうか。現在、兵庫、岡山の層塔の立地している位置、場所を検討した。境内の建物から少し離れた位置の山の裾に建ち、塔を囲み塔の高さを超えるような高木に囲まれているのが多い。例えば、平地にある、斑鳩寺(太子町)はどうだろう、三重塔より高いのは側に有るクスノキの大樹で、避雷針が守れない時は我が守るのだと大きく枝をはる。瀬戸内海寄りに育つクスノキは古代から繁茂し、生育が早く火災に強いのだと先輩の言葉を思い出している。お寺関係者はそんなことを考え植樹したのでしょうか。因みに、兵庫県の県木はクスノキである。

 そんなことを考えながら、山陰の塔礎石がある寺院跡に立ち、始めは塔は建てたでしょうが、再三の焼失で再建は諦め放棄したのではないかと考えたがどうだろう。Ⓢ



2023年6月8日木曜日

 【はりま風土記の里を歩く会】の会唄を紹介します

 結成から来年で20年を迎えるにあたり、何か皆で一つになるものは、と考え、童謡「故郷」の曲で詩を変えて会の歌にしようと思いついたのが下記の詩です。素人の為せることなので皆で謳いながら色いろ変更をし、ベストが出来ればいいと思っています。

 「はりま風土記の里を歩く会を称える歌!」 童謡「故郷」メロディーで謳いましょう。

1) 風土記生みし 播磨野    2) 氷からい出し 揖保川

     緑深き山河      宍粟(しさわ)揖保(いいぼ)流れきて                                                       

  伊和の三山に 守られし      播磨灘を 育(はぐく)みて

  友と歩まん故郷          今日も行こう故郷

3) 悲恋生みし 冰の川(ひのかわ)

  根日売(ねひめ)眠る 玉丘(たま)御陵

  おけ、オケ王子が築きたる

  明日も歩もう故郷       編詩・atomusuma


6月例会 6月21日(水) 集合:7時30分 JR姫路駅南バスターミナル

    出発:7時45分   兵庫丹波篠山と関係

                     江戸末期から明治にかけ活躍した北前船
の深い「京都丹波を訪問します」

    訪問先:天引峠、普済寺、丹波国分寺跡、出雲大神宮、穴太寺、光秀首塚、

        道の駅・ガレリア:かめおか などなど

  募集:35人(先着順)  会費:4600.ー

  * 詳細はホームページ参照ください。Ⓢ    お待ちしてます。

  



2023年6月7日水曜日


     まだ咲かぬアジサイ【大滝山西法院】

        アジサイが咲いていませんでした。

       三重塔のある大滝山西法院へ「アジサイ」👀でに!!

     梅雨空の間隙を縫ってアジサイ花を愛でようと備前市の「大滝山西法院」へ出かけました。平日なので拝観者は多くなく、咲きぐわいもいまいちでした、のは来園者は事前に開園日を知っていたのでしょうね。またの来園を約し、早々に園を引き上げ熊山山上へ向かった。さすが、修験者の山だけに各所で急坂や露岩の山容を堪能した、が古くは灌木は低く遠く瀬戸内海を広く眺望した記憶が有ったように思うのだが。車で山上に登ったので歩きと違う発見も有った。この報告は後ほどにしよう。

     下山後一路牛窓港へ向かっていたが代わり気でUターンし、田原用水水路橋「石の懸樋(かけひ)」を見学に出かけた。何時もこの辺りを通過するのは帰宅を急ぐ時間で寄るのが延び延びになっていた。県道96号を西北へ走り徳富集落で大きくない「石の懸樋」の道路標識があるので見落とさないでほしい。先人の知恵と努力で300年たった今も我らの都合で移設された姿を見られるのには感激と感謝である。重い花崗岩をどの様に切り出し運び据えたのか知りたい、皆はどう思う。知恵人力をいかんなく発揮したことでしょう。

     帰宅途中「はれの国岡山のJA和気」に寄り、果物産地である備前の早生の「黄金桃」を買い試食した。まずまずの味なので遠い彼女への贈り物はどうだろう。Ⓢ

           202 3/06/07       田原用水水路橋「石の懸樋」

    2023年6月6日火曜日

    「日本の古道120選」に選ばれた「江波峠」「釜坂峠」は播磨国から因幡国、美作国へ !!

                  《多くの人を見送った江波峠の地蔵尊》


        「現在全国山岳古道120選」の調査が進む!  <江波峠>が選ばれた!!

     2025年の日本山岳会創立120周年を記念して全国に満とある峠の内、120選を選定し、調査が進んでいる。選ばれる条件は歴史があり,現在名が残っている古道であることが条件である。現在は使われてなくとも、古くには多く文物や人々が往来したとかで、例えば太平洋(瀬戸内海)側から塩や鉄が運ばれた日本海への古道。戦国時代に武将が峠を挟んで戦ったとか、江戸時代に人々と文物が盛んに往来した、などなどが選考の一つである。

     兵庫県にもたくさんの峠がある。六甲山を越えた数多く人達越した道々、中国山地を越えた物流の峠など名を上げればきりがない。しかし、2000m級の山頂を擁する中部以北が有利であろうと思うのだがどうだろう?,…… 各府県に割り当てたのが当たったのかも ??……

     兵庫県で6か所を推薦し、候補になったのが宍粟市千種町から鳥取県若桜町へ通じた<交流と鉄の道>として「江波峠」因幡藩主が参勤交代>で越した佐用町の「釜坂峠」でした。日本に満とある古道峠の中の二か所に選ばれたことは我が播磨の誇りではないか ? … 、思うことにしよう。これを機会に多くのハイカーが訪れ賑わうことに期待している。調査は今秋(9月)から始まっているが、出版物になるのは今少し時間がかかるが期待してください。Ⓢ atomu



    2023年6月5日月曜日

     兵庫五国と近接八国を巡る <歴史、地名、山など <何でも探検隊>

      頑張れ兵庫県 !!

     一県(いっけんで)で旧五国が集まって国を成している県は他に無く、交流に困難な高峰も少なく、備前、因幡、丹後、丹波、山城、摂津、讃岐などの多国と接している他県はないでしょう。なので、江戸時代になると、多くの民俗、文化、文物が兵庫を往来したと思う。そのため、往来が少ない国の様な固有的民俗文化が育たなかったのではないか。当県は都に近く、隣に経済の中心の大坂もあるので、現在風に言うと流行の先端をストレートに取り入れ見聞きしたことで混在する民俗文化が出来たのではないか。    方言を調査された県内の記録があるが赤穂、佐用、宍粟は播磨でありながら、少しずつイントネーションや語彙が気になったが互いが理解できたので困らない。60年近く前の日本でただ一羽残ったコウノトリを但馬の仲間の案内で特別に拝観させていただいた時の案内人さんの田舎言葉(方言)も理解できた。

     県内を足繁く駆けて気付いたのは、兵庫県の42%以上を占める播磨の中心姫路から見て、他県と接する市町(赤穂市、佐用町、宍粟市、新温泉町)では姻戚関係しかり、現在も他県との影響や関係は続き、買い物も姫路のショッピングセンターへ来ず、県外の津山、但馬の日本海側は鳥取へ向かう。丹波篠山は山城の国京都へ行くらしい。現在もこうであるから江戸時代はさらに結びつきが強かったと考えて良い。

     最近、大阪スタイルに共鳴する、お方が居られるが大阪を真似るでなく兵庫スタイルを構築すべきであろう。上記のように北は日本海から南は太平洋に接する秀国・兵庫県は日本一になる素地はあちこちにあると考えている。真似たら所詮二番煎じで、大阪の部下でも配下でもないのに、府民に相談すると言うべきでない。まず、500万余人の県民と対話し知恵を借り【日本で一番】を目指し県民の負託に応えてほしい。Ⓢ atomu

               <県立人と自然の博物館で出会った小学生>

     

    2023年6月2日金曜日

    兵庫五国と近接八国を巡る:  こんにちは

    兵庫五国と近接八国を巡る 《 何でも探検隊 ・2 》

        サクランボの収穫に??向かう!!
                   
        梅雨の合間に満を喫して岡山県西粟倉村に出かけた。道具は網と枝を引っ掛ける手製の棹を車に積み込み
       峠越えの林道を上る。大漁ならば分けると宣言したので、赤い実がタワワニ下がった姿を思いながら急坂の的の樹の下に着く。少し様子が違う。赤い実が一粒もない葉ばかりのサクランボの樹が昨年より背を大き 
    く伸ばしているだけで、目を疑った。先客があり収穫したのなら枝先に数粒は残るであろうに、無い。
        最近ハチや虫が減ったので受粉が上手くいかないと農家の人が嘆いていたのをニュースで知っているで、
       これも疑った。さらに、さくらの樹の延命を図ろうと薬剤散布したので蜂が寄り付かなくなった、のではない 
    か?とも考えた。結局、理由は分らないが薬剤散布が原因だとし、残念な顛末の一コマ報告である。Ⓢ atomu     西粟倉村 粟倉神社狛犬<愛知型>

    2023年6月1日木曜日

     こんにちは





     今は無き、三室高原野外活動センターの残照!!! はクリンソウ!!  

     兵庫五国と近接八国を巡る ⦅ 歴史・地名・山 の《何でも探検隊が行く》

    千種町クリンソウと県境を駆ける!

         梅雨の間隙を縫って岡山県西粟倉村(そん)から播磨のチベットと 

    呼んでいた宍粟市千種町の最奥、峰越峠(みそげとうげ)を越えた。
      初夏の装いに姿を変えた山々に、道路ばたの花タニウツギが今を盛りに目を楽しませてくれる。時折、ヤマボウシが清楚な白花をアピ 
     ールしてくる。  
      雨模様の里山で初めて出会った薄暗い山中の白さに感 
      動し、山仲間に大きな声を発した思い出は遠く彼方に去ったが、鮮明 
      に思い出せるのです。
       千種町へ入って人気のクリンソウの湿地を覗いたら数人のアマチュ  
      アカメラマンが盛んにシャッターを切っていた。
       宍粟市の山に足を入れて60年を越えた。いろんな変化を見てきた中 
      の一ツにクリンソウが群落を作ったことでしょうか。本職で無いので  
      ハッキリシタ理由は分らないが、毒があるとかで鹿が食べないのが最
      大の理由らしい。それに、クリンソウ種子のある場所の雑草を鹿が食 
      べ日当たりが良くなったからでもあるらしい。なので、鹿は適応力が
      強く山中の口に合うもの何でも食べるので下草が無くなり山中が
      荒れ土砂が崩れ山崩れが起きやすくなるのである。他に、鹿に対する 
      悪弊理由は有るが、今回はこれくらいにしよう。
       群落をあとに林道を「たたら学習館」経由で三室高原から大通峠へ 
      の長い林道(吉川西河内線)を上る。融雪後の道がどうなのか不安である
      が長い山行で鍛えた勘で標高1000mの峠の頂上へ。兵庫県で車が越 
      える最高地点峠である。頂上の峠地蔵尊に久しく挨拶と手向けの花を  
      供え、今秋の峠越えの無事をお願いした。今春、吉川側から峠越えを 
      試みたが残雪で断念していたので、慎重に下山に掛かる。
      途中でタニウツギの白花を見つけ嬉しくなり写真に撮る。赤花ばかり 
      であったので今回の収穫の一つかも知れない。 
       西日を受けた吉川集落の豊かで明るい家並みは雪で埋まった厳冬期
      の姿は見えない。車を駆け岩屋堂のあるR29へ向かい、左に折れ15分
      ほどで道の駅若桜へ着く。一息入れ、戸倉トンネルを越え姫路えの道 
      を駆けた。無料の鳥取道が出来たのでR29の車の無さに驚きと残念に 
      思いながら、貸切りでR29を一宮町まで走り、賑わいを感じながら山 
      崎、安富、間もなく我家である。
       これからも兵庫県中北部はグランドとして足繁く通うので、過疎化
      の波に流されずに歴史を刻んで欲しいし、訪れた時にニコヤカに歓談
      してほしいと思う。
       
      クリンソウ




      



    ホタル、アジサイ求めて東播磨を駆ける。

    北条鉄道北条口駅 北条鉄道、田原駅 北条鉄道,網引駅 JR加古川線,小野町駅  新装なった加古川畔の見土呂植物園へ出かけた。温室の展示物がエコーになって、手の掛からない植物、身近なのが増え持ち帰っても育てやすいのになり、気楽に家族で無料で見学できる様になって、喫茶とドームが繋がり...